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第二號 LAUNCH OUT!

飛びます!飛びます!











「方法」と私というひとつの現象

じぶんのことをなかなか明かそうとしないわりに、やたらとじぶん語りが多い。
こういう面倒な習性が私にはある。
私はそれを認める。
そして、そのことを(このごろは)心底イヤだとおもっている。
ある友人は私にこういった。
どうせオマエは、ひとにべたべた触ってくるくせに、ひとを近づけないスタンスなんだろ。
こんな図星の指摘を受けると、
私のねじまがったハートもさすがにストレートにグサリとやられる。
そうして、ああ何てことだ!これが私なのか!といってふにゃふにゃにぐにゃぐにゃに落ち込むのだ。
もう少し面の皮がぶ厚かったら私の生き方もぐんと変わっただろうが、
私はとにかく M なので、つまりなにかと受け身すぎるところがあるので、
ふにゃふにゃのぐにゃぐにゃになりやすい。
それで大いにバカみたいにハンセーする。
ハンセーばかりしているうちに、からだのなかにポコンと意味深な回路が開けて、
その穴のなかへふか〜くふかくもぐっていき、パタンとじぶんを閉じる。
そうやって、開いて閉じてをくり返していくあいだに、何重もの入れ子構造が出来上がる。
私はその入れ子構造のなかにみずからを軟禁して、狭っくるしい!となげいている。
これが私というひとつの現象である。

と、誰にもきかれていないのに、またじぶんのことをだらだらと話している。
これも私というひとつの現象である。



私はこうして 443 Note(シジミノート)をつける。
これまでに蜆TuReを一度でも手にとってくれた人に向けて、
「いったいどんなヤツが発行している冊子なのか」を小出しに伝えてみるために。

私は蜆TuReを仕事だとおもって取り組んでいる。
儲けようとはおもわないが、私一人分の食い扶持の助けくらいにはしたいと考えている。
これは、「オレは趣味なんかで物書きせんぞ」という宣言でもある。
趣味ではダメだ。夢中になれても、必死にはなれない。
やるからには魂胆がある。魂魄もある。
私が私のなかに用意した個人的な魂胆と魂魄を発揮するために、私は個人的にこの蜆TuReをはじめたわけだ。
漕ぎ出した舟は、漕ぎつづけるしかない。
やみくもに漕いでいればいいかといったら、そんなことはない。
これは仕事である。
個人的な魂胆と魂魄を発揮するためには、「方法」が必要だ。
発揮の場はどこか?それは蜆TuReの「誌面」においてである。
そこには「読者」という名のオーディエンスがいる。
「誌面」において、何が発揮されている…

冷えサビヰスキー・オン・ザ・ポップ

枯れなくちゃならん、とおもったものである。
いつどこで。
どうしてどうやって。
むう。それはなかなかむつかしい質問というもので、
多分に私の性格と生い立ちにかんけいするはなしではある。
ものごとの原因やそれを生んだきっかけは、ある場面や出来事にあるとはかぎらない。
かぎらないけれども、場面や出来事の影響力は強い。これもまたたしかである。
枯れなくちゃならん。
たとえば、亀戸の小さな河川にかかる桟橋の上を歩くひとりの中年サラリーマンの姿が、
十六、七の私にそうおもわせてくれた。これはたしかだ。
色褪せた皮鞄。少しよれた感じの背広。やや前傾姿勢の歩き方。無言の背中。歩く速度。
私はそこに何を見ただろうか。
じぶんの存在とじぶんを取り巻く環境を、何かしかたのないものとして引き連れて生きるやり方。
ニヒリズムですらない、アンニュイですらない、枯れた精神。
そんなものを見たはずだったろうか。
よいなあ。ああいう大人でなくちゃあな。
そう感じたのだったろうか。
場面…。
そうだそうだ。
おもえば、私に酒と煙草の意味を教えてくれたのは一枚のモノクロ写真だった。
安酒屋のテーブルに座ってくつろいでいるひとりの文士。
テーブルの淵には吸いかけの煙草がオンしてあって、手元にはコップ酒。
その写真を見た私は、そくざに、ああこうでなくちゃならんとおもった。
私にとっての酒と煙草をはじめるべき理由が、そのなかに全部あるように感じられた。
(それが太宰であるのは知っていたが、あとでたしかめたら若松屋という鰻屋だった)
つまり、そうなのだ。
そうやって、たまたま目の当たりにしたひとつの像が、
私という存在をこれからどこへどう向かわせていけばよいかの方向づけを示唆するものになり得る。
やがて、その方向性が定着してじぶんのなかで一定の価値を持つようになると、
いつしかじぶんからそれに従って生きるようになっていく。
何を見たか、何を聞いたか。
そこのちがいで、ひとの行く末なんてぜんぜんちがうものになる。
たとえば、スワンベルクの絵を見たか見なかったかで、ひとの一生が左右されるとしたら?
かりにそういう因果があるとして、それを不公平だとおもうかどうか。
私は必ずしも不公平だとはおもわない。
もしあるひとがスワンベルクの絵を見ないで一生を終えたとしても、
それはそのひとがそれを見る必要がなかったか、
見るチャンスを得るまでにはいたらなかったという程度のことに過ぎないのではな…

第二幕までのインターミッション

蜆TuRe二号、いまDockに入っている。
舟の組み立てが遅れたうえに、この季節特有のモンスーンにみまわれている。
Dockの外は〝年末〟という名の大嵐が吹き荒れているのだ。
しかし、それでも舟は出る。

ものをつくるというのは、ひとつの労働であるとおもう。
出来上がったものを見れば、ああ出来上がったかでおわるのだけれども、
つくりあげるまでの工程にはじつに数多くの仕事がかくれているものだ。
ものをつくった経験のある人は、だれもがそのことを知っているだろう。

ぼくがつくるのは、ほんの小さな舟だ。
たとえ小さくても、舟は舟。
舟ならば海に出るだろう。
海に出るからには、途中で難破してしまわないつくりにしておく必要がある。
けっして手を抜けない。
街には出帆を心待ちにしてくれている人がいる。
いい仕事を心がけよう。
出来れば、みんなをわっといわせるような仕事を。

とかなんとか、ぼそぼそとひとりごちながら、ぼくはお茶を濁しているのである。
原稿の仕上がりが大幅に遅れ、頼りのデザイナーは年末の駆け込み需要に振り回され
身動きが取れなくなっている。
さあ、コマッタコマッタ。
といって、焦ったところで出ない舟は出ない。
ここはひとつじっくりといこうではないか。
と、じぶんに言い聞かせて、つい短くなっちゃう気を長くのばしている。

そうだ、先は長い。
アバンチュールは、まだはじまったばかりである。
ぼくはこの航海のなかで、もうすでに小さな挫折をいくつも体験している。
良薬は口に苦し。
効き目は抜群である。
ぼくは、何のために書くのだろう。
その問いに対するひとつの答えを、ぼくは持っている。
読者を得るために書くということ。
迎合ではない。
ひとつの正しさなのだ。
言語は、ぼくの側にあるのではない。
言語はそれを使う人たちの側にある。
ぼくが言語を用いて書くからといって、
その言語をぼくの側に置いておけるとおもうのは大まちがいだ。
言語は、長いあいだそれを使ってきた人たちによって築かれた「歴史」の側にある。
いまもなお。そして、これから先も。
その歴史に対してどれだけひらいていられるか。
それが個人の受け持つ役目だろうとおもう。

頑固なぼくはようやくじぶんのまちがいを認めつつある。
ひと皮むけたのはいいのだが、やけにひりひりしてしかたない。
ひらいた本の活字の並びが、妙に沁みてきたりもする。
わるくない。もっとむけちまえ。





蜆がゆく! たけうま書房さん(横浜)/汽水空港さん(鳥取)/古本 冬營舎さん(島根)

ただいま蜆は、たびかさなる細胞分裂をくりかえし、
じょじょに〝二号〟になろうとしておるところであります。


だいぶ間があいてしまいましたが、
あらたに3つの店舗で蜆TuReを取り扱っていただけることになりました。

ひとつは、横浜市中区にありますたけうま書房さん。
創刊号に掲載した短編が小学校をぶたいにした話でしたので、
ぜひ横浜の(小生はハマっ子でした)お店にも、ということで置いていただいています。

それから、鳥取県松崎の東郷池のほとりにたたずむ汽水空港さん。
ぼくは、ここの店主のモリテツヤさんのファンになりました。
踏み込んでいえば、いろいろ影響されたい(とおもわせてくれる)ひと。
モリさんは、ちょっと抜けてる、つまり、
感性がズ抜けている、あるいはひょうげているといったらいいでしょうか。
そういう感じが個人的にいたします。

そしてそして、島根におわす古本 冬營舎さん。
ぼくがいちばん置いてもらえたらうれしいのになあ、とおもっていたお店であります。
なぜそんなにうれしいか?
冬營舎さんは、シジミの日本一の産地であるあの宍道湖をのぞむお店なんですね。
もちろんヤマトシジミです。
いわばシジミの古里、いやシジミのトポスといっていいすぎることはありません。
シジミの縁。に感無量。
こちらのページでさっそくご案内くださっていました。店主さまありがとうございます)

前にもぼくは書きましたが、シジミがとれるのは汽水域です。
汽水域。あれちょっと待てよとおもい、東郷池は汽水域なのではないかと調べてみると、、
やはり。東郷池は汽水湖でした。
あ!だから、「汽水空港」という名前なんだ!とそれで気がつく鈍感なぼくです。
モリさんにおたずねしたら、東郷池でもシジミがとれるとのことでした。
なんと!すごいすごい。
日本列島ひろしといえど、シジミのとれる地域はかぎられているんですし、
まして、古書店さんがある地域はもっとかぎられているわけですから、
んー、、心がおどります。

では、たけうま書房さんはどうだろう、、とためしに調べてみますと、
ここがなんと大岡川と横浜港とが合流する汽水域に近かったのであります。


シジミがシジミをさそい、蜆TuReは日本列島を縦断していく、、と。
蜆よ、ゆけ〜!













町のきれいな〝診療所〟 レティシア書房さんの「目」

京都は高倉通り二条下がるにある レティシア書房 さんまで納品にいく。 納品だけに「納品書」を書いた。いや、お店のカウンターで書かせていただいた。 蜆TuReの納品で「納品書」を書いたのはこれがはじめてである。 本来ならば、事前に納品書を書いてモノといっしょにお渡しするのがマナー(のはず)。 ところが、まったくそういうところにアタマがおよんでいないので、 レティシア書房の店主小西さんにこのたびキョーイクしていただいたというわけである。 これからは、納品書を持って納品することにしよう(郵送のときは同封して)。

レティシアさんの店内は、ぱあーっと明るい。まずお店の顔(外観)がとても明るい。 清潔感のあるアットホームでモダンな〝町の診療所〟みたいなのだ。 もちろん本のお店なのだが、どこかドイツのPlatz(広場)を連想させる。 そう、レティシアさんのお店にはどことなくドイツの香りがする。 Platzというのは町の中心にあっていろんな人が行き交う公共の場のことである。 どうしてぼくがPlatzを思い浮かべたかというと、 小西さんのお話に耳をかたむけているうちに(たくさんお話を聞かせてもらえた)、 そのネットワーカーぶりに感銘を受けたためである。 京都だとうちのほかにはどこどこのお店…さいきんオープンしたお店だと神戸の元町に ある◯◯さんとか△△さんとか…ここならリトルプレスを置いてくれるんじゃないかな… ここのお店はこんなこともやってる…いちばん売れてるリトルプレスはこれでね… それをつくってる人はこんな人で…知っといてソンはないかな…あとその本はおもしろい… そうそう近所でこないだ新人賞をとった物書きさんがいるんだよ…などなど レティシアさんのところへ集まってくるさまざまな生のニュースや、
店主の目をとおしたビューやイメージが、 まさに〝芋づる式〟につぎからつぎへと小西さんの口から飛び出してくる。 ぼくはおもうのだった。 「なるほど、こういう店主とお店の存在が、人の輪をどんどん豊かにふくらませていくのであるなあ」と。

もうひとつ、
お話をしていて感じたことは、小西さんが「目利き」の人であるということだった。

 めきき【目利き】

 ①書画・刀剣・器物などの真偽やよしあしを見分けること。また,それにすぐれた人。  「書画の-をする」
 ②人の性質・才能などを感得する能力があること。また,その人。
 ③目がきくこと。見分けること。 「ど…

余裕のよっちゃん? それから、本と。さん

ナイアガラトライアングルの ♪A面で恋をして が頭から離れなくなっている。
もう離れたかとおもったら、まだくっついてくる。
じつは最近、ひょっとしてそうなのではないか?といぶかっていることがあって、
それというのは、ぼくのセンスが80年代と親和性が高いかもしれないということです。
どういうこと?
いや、どういうことなんでしょう。
たとえば、笑いのツボがちょっと古い。
あるドラマのなかで、梅沢富美男扮する成り上がりセレブが半生を振り返っていうセリフにこういうのがあった。
「ミーの人生なんてみんな嘘っぱち(間)castle on the sand…砂上の楼閣さ」
ぼくは、このcastle on the sandに大ウケしてしまった。
なんともいえない間と力の入っていないセリフの言い方がよかったのだが、その絶妙さを差し引いてみても、
castle on the sandにふつうにウケてしまうというのは、これはちょっと80年代的古さを感じる。


1980年代というとぼくはまだ小学生であったのだが、80年代的な思い出といえるものがほとんどない。
かなしいかなぱっと思いつくのは、マンモスヤッピーと大人じゃ〜んくらいである。
それだって、のりぴーをテレビで見たわけじゃなく、学校でみんながいっているのを聞いておぼえたのだ。
あまり世間というものに関心がなかったような気がする。おまけに、夢がない子どもだった。
夢は何?ともし聞かれたときのために一応回答は用意していたが、
ぼくは将来こうなりたい!という野心や憧れといったものはまるでなかった。
ただ、存在に余裕を感じさせる人物には憧れた。この余裕さはおぼえておこうと思った。

五年生くらいから横浜の上大岡にある日能研という塾に通っていたのだが、
そこにはそういう余裕を感じさせる人物が沢山いた。そういう子はだいたいカシコい子だったので、
ぼくは「ああ知性というのは余裕のことなんだな」と漠然とおもったものだった。
それでも、知性や知的欲求といったものは、このころのぼくにとってはまだじぶんの〝外〟にある何かだったとおもう。
そういう余裕を感じられたということが、ある意味、小学生のぼくのなかにあった余裕であったといえるかも知れない。
中高大とすすむにつれてどんどんヘンコになっていた人間としては、
あのころがいちばん(ぼくなりに)余裕を持てていたシーズンだったのかも知れない、ともおもう。

そんな小学…

「納得しました」

大学にいたころ、たった一人だけ、個人的に言葉を交わした教授がいた。
八巻先生という。
ニコラウス・クザーヌスを専門に研究をされている先生だった。
髪が八の字でちりちりとカールしていた。名は髪をもあらわすのだろうか。
日本人はどこから来たのかという話のくだりで、南のほうから来た説の傍証としてごじぶんの御髪を指し、
「ぼくなんかは髪がこんなちりちりですから、ポリネシア系の血が混じってます」
とアカデミックな冗談をいっていたことがある。
そんな先生の授業では、毎回講義の感想を半ペラの紙に書いて提出することになっていた。
一回目の講義の後、ぼくはその半ペラにきったない字であることないこと書き散らかした。
背伸びをしたお尻の青い屁理屈千万を、である。
二回目の講義が終了したときのことだった。
書きなぐった半ペラを壇上にいる先生の手元に差し出し、出口へ向かおうとすると、
先生がぼくをふっと呼び止めたのである。ぼくにとってそれはほんとうに意外なことだった。
「君は いろいろ 考えているようだね」
間をもたせたやわらかい口調でそう語りかけられたとき、ぼくは素直にうれしかった。
心なしか先生の顔もうれしそうに見えた。
じぶんの思考や発想が他者の目に触れたのは、このときがはじめてであったとおもう。
こんな言葉を投げられたこともあった。大学五年生(!)のときだ。
「君みたいなひねくれ者はここ十数年ぼくは見たことがない」
講義後の壇上で腕を組んで立ち、にんまりと笑みを浮かべながら、先生はぼく目がけてそういったものである。
あの言葉はぼくにとってはひとつの勲章のようなものだった。
そういうひねくれ者はマスコミにすすむしかないだろう、と先生はぼくの進路を慮りアドバイスを付け加えてくれた。
(このひとことでぼくは大学の近くにある小さな作文塾に通うことになるのだが、
作文の実践力がつき筆記試験にパスするものの、内定にはいたらなかった)

以来、先生とは細々ながら音信絶えぬ間柄である。
これもひとえに、若輩者に対する先生の寛容さと親切心によるところのものであります。


先日、その八巻先生からありがたいことにお便りがとどいた。
お送りした『蜆TuRe』の感想を寄せてくだすったのである。
その葉書のなかにこんな一節があった。
先生のお人柄が垣間見られるので紹介させていただきます。

 「揚げパン事件」はたしかに(セラピーならぬ)頭の体操になりました。
 登場人物の名前…

塚田さんのアトリエ

このごろは人に会うことがめっきり少なくなった。
少なくなった、といいはするが、別段いまにはじまったことでもない。

子どものころからそうだったようにおもう。
みんなでいるよりも、ひとりでいるほうがよかったのだろう。
あるいは、ひとりだろうと、みんなだろうと、どっちでもよかったのだろう。
どこかへ出かけても、すぐに迷子になるような子どもだった。
たとえばこんな迷子話をうちの親から聞いたことがある。
ぼくがまだ1歳かそこいらのベイビーだったころ(ダブリンにいたころ)のこと。
彼らは、買い物に出かけた帰りかなにかでぼくを連れてPubに立ち寄ったそうである。
彼らはカウンター席に腰かけてくつろいでいた。ぼくをすぐ横に座らせて。
ところが、ちょっと目を離した隙に、
いまさっきまで隣にいたはずのぼくが忽然といなくなっていることに気がついた。
たいへんなことになった、と二人は慌ててじぶんたちのベイビーを探し回った。
しかし、お店のマスターや客にたずねてもみな首をかしげるばかり。
いったいどこへいってしまったのだベイビーは…とおもい、ふとカウンターの下を
覗き込んだら、なんとそこに隠れていた。というオチである。
ふらりとどこかへいなくなったり、雲隠れしたがる癖が、むかしからあったようである。


そういうわけなので、ぼくはじぶんの在り処さえままならないし、あいまいにしたがる
性分なので、じぶんからだれかに会いに行くという機会がもともと少ない。
そんなぼくにも、こっちから人に接近していくシーズンが何年か置きにおとずれる(彗星か)。
今日ここで紹介する塚田さんも、そういう周期的におとずれるシーズンのなかで
たまたまお会いすることができた稀有な方のうちのひとりである。
塚田さんとは、とある私塾の会合の場でたまたまお顔を合わせたのが最初であった。
テンガロンハットをかぶり、無精髭を生やし、中背でがっちりとした体つきの塚田さんは
土の匂いがした。
ぼくはなんとなくアントネルロというナポリの青年(ぼくがダブリンに遊学していたころ語学学校で会った青年)の
ことを思い出していたような気がする。
そのとき塚田さんはたまたまぼくの隣にいた。
たしか珍しくぼくのほうから話しかけたのだったとおもう。しばらく二人で立ち話をした。
温室」(塚田さんが立ち上げた会社)と書かれた上質な和紙のお名刺も、そのときに頂戴した。
名刺はいまでもぼくの文机の抽斗のなかにしまってある。

ミニマム/ダンディズム blackbird books さん

理想の家は?ともし聞かれたら、ぼくはこう答える。

 庵 ーーー 。


いほ【庵・廬】イオ(名)
 草木を結んで造った簡単な仮家。僧の仮の住居。または農事に役立てる。
 「いほり」。「わがーーは都のたつみ(=東南)」〔古今〕

いほり【庵・廬】イオリ(名)
 一.「いほる」こと。「いほ」に宿ること。「いづれの島にかーーせむ」〔万〕

いほる【庵る】イオル(自動四)
 「いほ」を造って住む。「河口の野べにーー・りて」〔万〕


出典:明解古語辞典 金田一京助監修 三省堂 昭和二十四年発行
坐して半畳寝て一畳。 これは、ぼくの生活信条のうちのひとつといっていい。 いかに住まおうか、あるいはどう存在してみせようか、ということを考えるとき、 どうしてもこの言葉に行き着く。 畳一畳分の一隅に古い坐卓を置き、そこに坐禅用の坐布団を敷いて坐る。 疲れたら、その坐布団を枕にして横たわる。 東京の国立の六畳間でひとり暮らしをしていたころから、それをよしとしてきた。 いまも、それはかわらない。おそらくこの先もこの信条を失うことはないとおもう。





















レヴィナスがこんなことを書いている。
「眠りへの誘いは、横たわるという行為のうちに生まれる。横たわる、それはまさしく  実存を場所に、位置に限定することである。」
『実存から実存者へ』エマニュエル・レヴィナス;Emmanuel Levinas
ひとつの存在として、どれだけミニマムであれるかということをもの凄く考えてしまう。 ぼくが蜆という名を好んで名乗るのも、それとムカンケイではない。 しかし、ぼくのこのミニマム志向がいつからはじまったのかというと、よくわからない。 天満のとある立ち呑み処で、酒の入った白い湯呑み茶碗の底を見つめて、 「この湯呑みひとつで完結できる世界がいい」と、ぼくはおもったものだったが、 これも、ぼくのなかのどこかに、ミニマムからはじめなければどうにもならないという 考えがあるためだろう。
ミニマムということを別の言い方に置きかえると、
限るとか、区切るということになるのではないかとおもう。
限ることでそこから何かが溢れ返っていく。しかし、限らなければ、次はない。
たとえば、生命は生体膜という境界をつくり、外と内を区切った。
区切ったことにより、生命体という個体として存在することに成功した。
つまり、いったん〝閉じ〟たわけだ。
閉じてどうなったかというと「内側」ができた。
内側ができると、内から外を見ること…

何者か。何物か。

とある催し物にまぎれこんできた。
その会場で「彼」とばったり会った。

彼というのは、
委託販売をしてもらっている居留守文庫で最初に蜆TuReを買ってくれた
記念すべき第一号の稀有な青年のことである。
この催し物に出る前に、
店主(岸昆氏)から「昨日一冊売れました」という知らせがとどいていた。
買ってくれたのは、常連の文学青年であると。
むろん、ぼくはその青年と面識がなかったが、
その奇特でありがたい青年とぜひこんど話をさせてくださいと
店主に伝えたばかりだった。

そうしたら、ばったり会ってしまったのである。
会ったというのは正確ではない。彼が、ぼくの存在を見つけてくれた。
ちょうど開場してから三時間ほど経ったころだった。
ぼくのブース(というほど立派なものではないが)に立ち寄る人はひとりもいなかった。
そこへ、ふわあっと〝なにか告げたさそうなけはい〟を持った人が机越しに
あらわれたのだ。持参していた原稿の上に視線を落としていたぼくは、
そのけはいに気がついてすっと顔を上げた。
「こんにちは」
マスクをしたひょろりと背の高い青年は、
まるで「やあこの前はどうも」というような雰囲気でさらりとぼくに挨拶をしてくれた。
まさに、挨拶をしてくれた、という感じだった。
(こんにちは?)
何者か、とおもった。しかし青年は「さあわたしはだれでしょう?わかりますか?」と
いわんばかりに目元をゆるめてぼくに笑いかけてくる。
いよいよわからないという顔をしているぼくに、彼は答えをおしえてくれた。
「このあいだ居留守文庫で買いました」
ああ!あなたが!そういって、ぼくは椅子から立ち上がり、その青年に頭を下げた。
彼は、ぼくが店主から知らせをもらっていることをとうぜん知らないわけだったが、
ああ!あなたが!とぼくがおどろきの声をあげたとき、
ぼくには、その青年がとても満足げな表情を浮かべているように見えた。

聞くと、彼はこういう催し物をやっていることをいままで知らなかったようだった。
ぼくはぼくで、はじめてだったし、しかもほとんどまぎれこんだようにブースにいたの
だから、彼とぼくがこの会場で鉢合うのはほんとうに偶然といっていいだろう。
ふしぎなこともあるものだ。
彼は、読んだら感想を送りますと約束してくれた。
これも店主のはからいで、
どうやら読者からの感想が次号に載るかもしれない、という案内があったそうである。
「応援しています」
そういって、青年は少し照れを隠す…