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塚田さんのアトリエ



このごろは人に会うことがめっきり少なくなった。
少なくなった、といいはするが、別段いまにはじまったことでもない。

子どものころからそうだったようにおもう。
みんなでいるよりも、ひとりでいるほうがよかったのだろう。
あるいは、ひとりだろうと、みんなだろうと、どっちでもよかったのだろう。
どこかへ出かけても、すぐに迷子になるような子どもだった。
たとえばこんな迷子話をうちの親から聞いたことがある。
ぼくがまだ1歳かそこいらのベイビーだったころ(ダブリンにいたころ)のこと。
彼らは、買い物に出かけた帰りかなにかでぼくを連れてPubに立ち寄ったそうである。
彼らはカウンター席に腰かけてくつろいでいた。ぼくをすぐ横に座らせて。
ところが、ちょっと目を離した隙に、
いまさっきまで隣にいたはずのぼくが忽然といなくなっていることに気がついた。
たいへんなことになった、と二人は慌ててじぶんたちのベイビーを探し回った。
しかし、お店のマスターや客にたずねてもみな首をかしげるばかり。
いったいどこへいってしまったのだベイビーは…とおもい、ふとカウンターの下を
覗き込んだら、なんとそこに隠れていた。というオチである。
ふらりとどこかへいなくなったり、雲隠れしたがる癖が、むかしからあったようである。


そういうわけなので、ぼくはじぶんの在り処さえままならないし、あいまいにしたがる
性分なので、じぶんからだれかに会いに行くという機会がもともと少ない。
そんなぼくにも、こっちから人に接近していくシーズンが何年か置きにおとずれる(彗星か)。
今日ここで紹介する塚田さんも、そういう周期的におとずれるシーズンのなかで
たまたまお会いすることができた稀有な方のうちのひとりである。
塚田さんとは、とある私塾の会合の場でたまたまお顔を合わせたのが最初であった。
テンガロンハットをかぶり、無精髭を生やし、中背でがっちりとした体つきの塚田さんは
土の匂いがした。
ぼくはなんとなくアントネルロというナポリの青年(ぼくがダブリンに遊学していたころ語学学校で会った青年)の
ことを思い出していたような気がする。
そのとき塚田さんはたまたまぼくの隣にいた。
たしか珍しくぼくのほうから話しかけたのだったとおもう。しばらく二人で立ち話をした。
温室」(塚田さんが立ち上げた会社)と書かれた上質な和紙のお名刺も、そのときに頂戴した。
名刺はいまでもぼくの文机の抽斗のなかにしまってある。
それからあとも何度か顔を合わせる機会があり、そのたびに塚田さんはぼくに声をかけてくださった。

塚田さんは庭をデザインし、花や草のいのちをデザインする。
そのどれもが丁寧で綺麗だ。
複合的でメカニカルな表象性も感じる。
塚田さんの手仕事は「処方」という言葉がとてもよく似合う。
アーティストである以前に、植物を「診る」ドクターとしての資質に思いいたるからである。
お飾りのススキを生けているところを一度だけ拝見したことがあるだけで、
まだちゃんと立ち会えたことはないのだが、
塚田さんが生ける草花の作品から、ぼくは「張る」という動詞を連想する。
弓の弦が張るというようなときの「張る」である。
生けた草木の腕や背筋がどれもぴんと張っていて、直線を感じさせるのだ。
やわらかみというよりかは、キレ。それゆえ、強いたわみを含んでいる。
だんだんと依り代のようにも見えてくる。
そうなると、「張る」という言葉から「たまきはる」という枕詞が浮かんでくる。
生滅やいのちといった場所から近いところで仕事をされている塚田さんには、
ふさわしい言葉であるようにおもわれる。
もしかすると、塚田さんは植物と通じる霊媒師なのかもしれない。はたまた、祭司レヴィ族の末裔か。


そんな塚田さんが、神田神保町の一隅にある東方學會という古い建物の一室に
TERRAIN VAGUE(テラン・ヴァーグ)という名前のアトリエをオープンした。
都会の空き地、という意味らしい。空間には緑がいっぱい生けてある。
塚田さんは、このアトリエにじつに多様なジャンルにわたる人びとを招いてイベントをひらいておられる。
なるほど、塚田さんは〝口寄せ〟の霊媒師ならぬ〝人寄せ〟のネットワーカーでもあったわけですね。


さて、
この神保町の一隅にあるアトリエの、そのまた一隅に『蜆TuRe』を寓居させていただけることになった。
塚田さんの懐のおおきさと巡りめぐる小さな縁起とに、感謝するばかりである。


蜆TuRe@TERRAIN VAGUE






コメント

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映像日記

2月14日 水
非番。復調。寒し。
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infra-mince考/『マルセル・デュシャン、メモ』No.10をめぐって

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蜆がゆく! たけうま書房さん(横浜)/汽水空港さん(鳥取)/古本 冬營舎さん(島根)

ただいま蜆は、たびかさなる細胞分裂をくりかえし、
じょじょに〝二号〟になろうとしておるところであります。


だいぶ間があいてしまいましたが、
あらたに3つの店舗で蜆TuReを取り扱っていただけることになりました。

ひとつは、横浜市中区にありますたけうま書房さん。
創刊号に掲載した短編が小学校をぶたいにした話でしたので、
ぜひ横浜の(小生はハマっ子でした)お店にも、ということで置いていただいています。

それから、鳥取県松崎の東郷池のほとりにたたずむ汽水空港さん。
ぼくは、ここの店主のモリテツヤさんのファンになりました。
踏み込んでいえば、いろいろ影響されたい(とおもわせてくれる)ひと。
モリさんは、ちょっと抜けてる、つまり、
感性がズ抜けている、あるいはひょうげているといったらいいでしょうか。
そういう感じが個人的にいたします。

そしてそして、島根におわす古本 冬營舎さん。
ぼくがいちばん置いてもらえたらうれしいのになあ、とおもっていたお店であります。
なぜそんなにうれしいか?
冬營舎さんは、シジミの日本一の産地であるあの宍道湖をのぞむお店なんですね。
もちろんヤマトシジミです。
いわばシジミの古里、いやシジミのトポスといっていいすぎることはありません。
シジミの縁。に感無量。
こちらのページでさっそくご案内くださっていました。店主さまありがとうございます)

前にもぼくは書きましたが、シジミがとれるのは汽水域です。
汽水域。あれちょっと待てよとおもい、東郷池は汽水域なのではないかと調べてみると、、
やはり。東郷池は汽水湖でした。
あ!だから、「汽水空港」という名前なんだ!とそれで気がつく鈍感なぼくです。
モリさんにおたずねしたら、東郷池でもシジミがとれるとのことでした。
なんと!すごいすごい。
日本列島ひろしといえど、シジミのとれる地域はかぎられているんですし、
まして、古書店さんがある地域はもっとかぎられているわけですから、
んー、、心がおどります。

では、たけうま書房さんはどうだろう、、とためしに調べてみますと、
ここがなんと大岡川と横浜港とが合流する汽水域に近かったのであります。


シジミがシジミをさそい、蜆TuReは日本列島を縦断していく、、と。
蜆よ、ゆけ〜!