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年の瀬年の瀬、シジミがとおる

12月26日。
いま、朝5時20分。外は大降りの雨。ゴミ出し、炬燵に坐す。
今年は、とつい口走りたくなるが、
なに、別段、今年はなどと意気込むこともないのである。

クリスマスの夜、神戸元町まで足を運んだ。
電車も街も、案外、人が少なかった。
訪ねた先のトンカ書店で長々とお話をした。ご丁寧にお茶まで入れていただき。
ぼくがお店の棚をつらぁと見ていると、店主さんがてくてく歩きながら何気なく、
「ほんま謎やわぁ、シジミさん。読むたびに謎が深まるねんなぁ。なんやろなぁ」
おめでたで大きくなったお腹を抱えながら、陽気な笑みを浮かべてそういう。
毎号、蜆TuReを読むたびに、いったい蜆は何者なのかと思うのだそうである。
それでは謎解きをしましょう、と切り出すわけでもなく、笑って返す。
じぶんでもじぶんのことがよくわからない。むしろ、教えて欲しい。
お茶をいただき、Edward Weston『NUDES』を片手にカウンター越しで話し込む。
やり取りのなかで、ぼくが会社勤めをしていたころのこと、これを出すことになった経緯などを話す。
書いて暮らすというのは、家人の理解と支援を得てはじめて成りたつ営みであるが、
トンカ書店の店主さんも、お店をやるにあたっては(といっても、もう十年以上営んでおられる)、
やはり似たようなところがあるそうだ。
来年シジミ塾をやりましょう!と店主さんからご提案をいただく。
もっと蜆TuReのことを人に知ってもらいたいという店主のはからいからである。
つまりは、人との横のつながりを探し求めていくべしということなのだ。
24日に寄った京都のレティシア書房でもそういう話になった。
こういう手弁当の作品をつくっている人間は、関係各社を回ってなんぼだといっていた。
なんだかんだいって、蜆TuReも六號まできた。
このままつづけるのならば、ここから先は、人の輪をつくっていくことがおのずと必要になってくるのだろう。
けっきょくトンカさんに小一時間ほどおジャマになった。もう閉店時間の19時回っていた。
シジミ塾をやりましょう、が、シジミ塾をやりますそうします!ということになった。
トンカさんのガッツには見習いたいものがある。

その足で、1003さんのところまで。
元町駅をはさみ、トンカ書店のあるエリアとは反対がわにある中華街から少し歩いたところにひっそりとたたずむ。

六號まわり(短篇一本目と図画工作中心)

十二月二日、蜆TuRe六號の原稿すべて脱稿。エッセイはネタなくて困っていたが、急に書けた。
短篇二本目はコミカルタッチなものを二日間で書き上げる。
十二月四日、絵すべて仕上がる。(データ送付完了)

言葉の配列は、魂のトーンによって決まる。
今回は、ドライなリズムで。なんとなく東海道中膝栗毛のような五七五ベースをあたまにおいて。
話の素材は、そのときもっとも関心が高いもので決まるのが定石。
11月は何かと「森」づいていた(いまも継続中)から、今號はおのずとそっちのはなしになった。
森づいたのは、熊本の文芸誌『アルテリ』二号に収載されていた平松洋子のエッセイがきっかけ。
とくに、このくだりにぐっときてしまった。


   まず、肺が視覚に飛び込んできた。色彩に喩えるなら、フラミンゴピンク。厚みのあるふたつの肺全体が、
  真珠の粉をまぶしたみたいにきらきら光っている。胃も腎臓も腸も、やはり誇らしげに輝いている。脳裏に
  浮かぶのは「美しい」という言葉だ。このメスジカは、敏捷に、賢く生きてきた。
   それにしても、一頭のメスジカがもつ言葉の、圧倒的な量と質はどうだ。掬っても掬っても、とめどなく
  溢れる泉の水さながら。おろおろと言葉の断片を拾い集めながら、私は卒然とした。野生に言葉を与えるなど、
  とんでもない思い違いだ。シカ自身、野生そのものがあらかじめ無尽蔵の言葉を有しているというのに。生命
  を閉じてもなお、こうして続々と言葉を生み出すシカ。野生は語りを止めない。問いかけてくる。
   おまえは、どれほどの言葉を汲み取ることができるのか。

                                 (「黒曜石」平松洋子/アルテリ二号)

撃ち落としたシカを猟師が段取りよくナイフでさばいていくシーン。
ぼくは、生まれてはじめて「生命」というものを感じた気がした。
生命というものは確実にあるぞ、という感じが強烈に迫って来たのである。
ヘミングウェーの名前が頭をよぎった。
この機を逃すまいと、『狩猟文学マスターピース』(みすず書房)なるアンソロジー本を求め、すぐに読んだ。
そこに載っていた「鹿の贈りもの」という作品がすこぶる面白く、
出所がリチャード・ネルソン『内なる島 ワタリガラスの贈りもの』であることを知る。
ふと、星野道夫を思い出した。
『内なる島』の…

書き手の仕事と読み手の領分 / 動き、書き、語り、読み

歩き方や話し方から、その人の人生や人柄が見えてくることがある。
にじみ出るというか。
ぼくたちは動物だから、
ちょっとでも動けば、
それだけでもう、じぶんがどんな生き物なのかを周囲に知らせてしまっている気がする。
それに、ぼくたちはほとんどの場合、そういう「動き」をもとに周囲の人を観察しているのであるし。

「動き」は語る。
では、書き方となればどうだろう。
どんな言葉を選び、どんな文を組むかで、
じぶんがどんな生き物なのかを周囲に知らせてしまっているとしたらどうだろう。
まさか。
いや、まさにそうなんだ。
読み手はよくよく観察している。
この書き手はどういう「書き」をするのか。
その「書き」は「動き」そのもので、
周囲は、「書き」によってこの書き手がどんな書き手であり、生き物であるかを見分ける。

少し前までぼくは、
「書く」というのは仮面をかぶることだと信じていた。
だいたいぼくのような軽度の離人症をひっつけた人間というのは、
なるべく生の存在を消して生きたがる。
だから、むきだしの設備をカムフラージュする建屋がほしい。
むろん、いくら建屋で囲ってみても、
その建屋内で生のぼくが、
一人走りの卑下に屈従する性癖を溶液のように垂れ流していることに変わりはないのだが。
そんな話はまアいい。
さて、
とにかく、かつてのぼくは、
書くときいつも、
こんどはどんな鉄仮面を鋳造しようかとたくらんで一人でたのしんでいたといえる。
仮面、
いいだろう。
美しくすぐれた仮面は人を魅了する。
しかし、それは、
仮面をつけた本体の精が、その仮面いっぱいに広がるときのみである。
もし、仮面が、
その本体の精を封じ、隠し、堰き止めているあいだは、
その仮面がどんなにすばらしい仮面であろうと、人を魅了しはしないだろう。
なぜならば、
人は、
仮面のむこうがわに、
本体自身をもの語る何か(その人がどんな人で、どんなふうに世界を見ているのかなど)を
見つけたいとおもっているから。
仮面は、
そのむこうがわにあるその人自身の「語り」を語ることがあらかじめ期待されている。
したがって、
生の存在をカムフラージュしようとしてつけた仮面は、
それをつけたとたん、
仮面のむこうがわにある生の存在が有しているであろう「語り」の所在を
周囲に潜在的に明かしているのである。
仮面は、語る。
それがどんなに強固…

「個人」という考え方 

世の中がいかなる成りゆきになろうとも、
ぼく個人は、
荷風散人にならい、
みずからその中に与していこうとはおもわない。

これが、ぼくの基本的態度である。

それでも、
何も知ろうとしないというのは恥であり、
何も知らなかったと、あとあと嘆くのは愚であるから、
知る努力をすすんで放棄することはしない。

世の中の成りゆきが、
ぼくを含めた数多くの個人の成りゆきに隣接している以上は、
このぼくにも、
個人として、
その成りゆきを知る必要がある。


おもうところあって、
あわてて一冊の本を読んだ。

『「日本国憲法」を読み直す』岩波現代文庫

憲法学者の樋口陽一と、劇作家で小説家の井上ひさしとの
日本国憲法をめぐる対談集である。
主に1993年から95年にかけての対談が収載されたものだが、
いま取り沙汰されている諸問題が、すでに20年前において問題視されており、
議論されていることにクラっとした。
ぼくじしんが問題そのものを知らなかったということに加えて、
この20年のあいだに、
それらの諸問題が、
世の中の成りゆきをますますわからない方向へ引き回していこうとしていることに
気づかされるためである。

この本を手に取った理由をかんたんに記す。
ぼくは、遅ればせながら、
先日はじめて、自民党の日本国憲法改定草案の中身に触れた。
それで、ぼくは、
国民によって選出された日本の代表者たちが、
およそ70年にわたって今日まで生き延びてきたこの憲法の
何をどう書き換えようとしているのかを知りたいとおもった。
いや、知らなければならないとおもった。
思想うんぬんを言う以前の、まず、言葉のレベルにおいて。
そのためには、
現行の日本国憲法に何が書かれてあるのかを知る必要がある。
何か適当な本はないかと探した。
ぼくは、
『自家製文章読本』を読んで以来、
井上ひさしという人に一目置くようになり、
日本語に対する真摯な態度とその本質的アプローチの取り方に、ただならぬエネルギーを感じていた。
彼の感性は信用に足るとおもった。
また、
彼が、加藤周一発足による「九条の会」に大江健三郎らとともに名をつらねていることを知っていたし、
「憲法が改正されるのを見て死にたくないですね」と生前語っていたことも知っていた。
それで、手はじめに上の一冊を求めたのである。
対談相手の樋口陽一については、正直ほとんど知ら…

がんばれ取材。蜆TuRe五号がらみ

(前置き 少しだけ五号がらみのはなしです。)


取材。
小説や記事を書く際に必要な材料を、実在する人物や実際に起こった出来事から取ること。

大学のころ、とある小さな作文塾にかよっていた。新聞記者を少しだけ目指していたころのこと。
実地で取材をして書くというお題が出て、東京高等裁判所まで傍聴をしに出かけたことがある。
一日で三件の裁判を傍聴した。民事一件、刑事二件。
刑事二件のうち一件は殺人罪を問う裁判で、いわゆるヤクザ同士の揉め事で起きた事件だった。
裁判官につづいて、被告がしずしずと法廷に姿をあらわすと、独特の緊張感がただよった。
被告は、新宿歌舞伎町のスナックに押し入り拳銃を三発発砲し相手方を殺害したとのことであった。
服役後は僧侶の道を歩むというようなことを述べていた。
小柄ながら強健で恰幅がよく、顔つきからも普通の人ではない感じが否応なしに伝わってきた。
傍聴を終え建物を出るとき、明らかにその筋の人とわかる一行と廊下ですれちがった。
出口でも見かけたので、おそらくその日はヤクザの偉い人の重要裁判があったのだろう。
半ば興奮気味に裁判所を後にした記憶がある。

けっして後味のよいものではないが、この裁判傍聴の取材はとても面白かった。
よくよく観察し、そこから細かな特徴を見つけ出してくるのが、案外、得意なのかもしれない。
書いていて手応えがあった。作文の評判も良かった。
見てきたものを書くときというのは、力がこもり、費やすエネルギーに厚みが出るものだ。
ひとえに取材といっても、誰の(何の)どこをどう見て、さらにどう伝えるかで内容は大きく変わるだろう。
これは文章だけに限らず、映像の撮影についても同じことがいえるとおもう。
問題は、何をどう見るか、見たか。
取材した人物が、取材から何を得たのか。さらにそれをどういう方法で伝えるか。
文学(あるいは映画)とジャーナリズムはちがう。同じにならないほうがいい。
だが、この取材と伝達という点では共通している。

どうしてまたこんな話をしたかというと。
今号の蜆TuReでは、これまでと少し方向性の異なることをやってみようとおもい、
短篇二本のうち一本を少し取材寄りのものにしてみた。
実在した場所と出来事を基に、架空の人物と架空の出来事とで描いてみたかったのである。
この題材は、たまたまつけたテレビの報道番組で知った。
書いたの…

「小説らしいもの」

この記述を読んでいる人は、ほとんどいないだろうから、
まだ出ていない五号のはなしを少しばかり。


少しは「小説らしいもの」を書いてみようかとおもってやってみると、
じぶんが、いかに出鱈目でとんちんかんな文を書く人かということが、いやなほどわかる。
独創で押し通そうとしているようなときは、そういうことにはまず気づかない。

「小説らしいもの」とは、どういうものなのか。
時代や場面設定があり、登場人物がいて、人物像が描かれ、何かしらの出来事や事件が起こり、
その一連のつながりでもってプロットが組み立てられている。
はなしのはじめから中盤にかけて伏線が用意されてあり、読み進めていくとそれが次第にあきらかになっていく。
読者が、人物に感情移入をし、情景を思い浮かべ、追体験をすることができる。
次が気になる。衝撃の結末や感動的なラストシーンが待っている。読んだ後には何かしらの余韻が残る。
登場人物しかり、台詞しかり、作品のなかに描かれるすべての要素が書き手の動機を担うのと同じように、
それらの要素が「読む動機」を読み手に与えるようにもなっているもの。
雑にいってしまえば、こういうのが「小説らしいもの」ということになろうとおもう。

わたしは、正直なはなし、小説というものをあまり読まない。
かりに読みたいとおもったとしても、フランスのシュルレアリストのものとか、
わたしが好きなブランショの『謎の男トマ』や『期待/忘却』といった小説らしくないものばかりである。
あとは、随筆、評論、詩集。文学以外では、農学、医学、物理、生物、山岳、それから心理や言語関連。
どちらかというと、原理のほうに触れるのが楽しいと感じるタイプの人間である。
それでも、たまに、遠藤周作の『沈黙』だったり大江健三郎の『芽むしり仔撃ち』なんかを読んでみると、
文章はつまらないけれど、ああ小説を読んだなあという満足感は得られる。
と、えらそうにはいうけど、ひとつの小説に打ち込んだ作家魂に対して敬意を払うことはけっして忘れない。

またはなしが逸れたが、
つまり、わたしは、小説があまり好きではないのだ。
好きではないが、小説を書きたくなる気持ちはわかる。むしろ、その気持ちを共有したいとさえおもう。

あなたはなぜ書くのか?ときかれたら、わたしはこうこたえる。
「わたしには書きたいことがあるから」と。
問題は、その「書きたい…

こわいという話

書くのをやめようかと思うことが、たびたびある。

書きたいことがあるうちは書きつづけたらいいというのは、だいたい平均していつも思っていることだが、
そうもいっていられなくなるときがある。
それは、自分の言語力と構成力に致命的な(と、少なくとも自分ではそう感じる)不足が立ちはだかるとき。
「不足している。ああオレはもうダメだ」と思うのではない。
その不足を補うだけの力を身につけることがどうも現実的に難しそうだと思えてしまうとき、挫ける。
早い話、自分の能力に限界を感じるわけだ。
限界といってしまえば簡単で、限界を乗り越えてこそ新たな道がひらけると言うのも簡単である。
だが、書いている本人は日々小さな限界を感じながらも、それを積んでは崩し、積んでは崩しして、
どうにか小さな成長を遂げつつ、次につなげていくことができているのだとおもう。
一方で、崩し切れずに積もっていく限界というものがあって、それが意識下で積み重なっていくと、
どこかのタイミングで袋小路に追い込まれ、身動きがとれなくなる。
さらにそこで、他者の目が入るなどして、何がいけないのかが明らかになればなるほど、
問題(限界)の具体的な根深さにはじめて気づき、万事休する。
とても立ち直れそうにない状態に置かれるのだ。

どんな独創性に富んだ創作料理でも、食べてみてマズかったらだれにも味わってもらえない。
それと同じように、
たとえどんな斬新で風変わりな着想で書かれた作品であっても、読み手にあまりに負担を強いるのでは、
「いいわるい」「わかるわからない」の前に、読んですらもらえない。
読んでもらえるという最低限の担保を作品に持たせるためには、それなりの筋道や順序や手がかりや前提を
話のなかに用意しておくことが必要になる。それがないと、読み手はどうしていいかがわからなくなってしまう。
特に小説と呼ばれているものにはそれが必要で、書き手はここを避けては通れないらしいというのが、
私にも少しずつ(身をもって)わかってきた気がする。
ここをしっかりしていくためには、構造を組み立てる力が求められるのだろうが、
正直言って、私はその力が弱い。これまで避けてきた部分でもある。

「よし書けた!」と自分なりにいえるところまで持ってくるまでにも、
原稿をいくどとなく見返し、つどダメ出しをし、もれそうなため息をぐっとがまんして何度も何度も…

シジミ雑記



7月。季節労働と戯曲賞の公募に出すための原稿執筆で転がるように過ぎる。
8月。魂を取り戻せず、じぶんを疑い、気色ばむが、十日ほど経たあたりでようやく魂がもとの席におさまり、
本格的に五號の制作に取り組み出す。ちらちらと五輪競技を気にかける。

そのほか。
手製の本棚を積み直し、一部揺れ防止のためにL金具で留める。
本をいったんすべて出し、あらたに並び替える。チェスの駒を動かすようにして、本を置いていく。
この本はここではない。ここか?ちがう。こっちか?いや、まだちがう。どこだ?ここの隣か?と逡巡しながら差していく。
半日がかり。疲れるが苦ではない。「意味の積み木」をしているよう。
本の定期検診。関係性の深度測定。関係の更新手続き。

映画。タルコフスキー、トリュフォー、つまみ食い。森田監督の家族ゲームは面白かった。主演松田優作、伊丹十三、由紀さおり。

夏の弔い。五山送り火の中継テレビで見る。
あの土砂降りのなかでは、松岡正剛氏の低音濁音の声も、雨の轟音に掻き消されて味わい半減となるべし。
闇のなかの山水画。ファンタジック。雨は浄化し、かえってよしとすべし。氏の発言。
組み木に点火するところをはじめてじっくり見た。何ごとも人の手を介していると大いに感心。
大文字、妙法、船形、鳥居形、左大文字。受け継がれる遺志が燃えていた。



シジミ五號。
絵の素材、ひと通り出揃う。
表紙絵。描いては消し描いては消しをくり返し、下絵ができる。ペン入れの段階では一工程おわるごとに手が止まる。
初心に帰り、主にGペンを用いた線画の制作。
Gペン。本格的な使用は創刊號以来。少しは勝手がわかってきたのか、直線も曲線も以前よりだいぶ上手くさばけるようになる。
抽象度(記号性)を保ちつつ、見る人にとっての触れやすさ、構図のバランス、(線と要素の)情報量に注意する。
場所ごとにことなる線を選び、多様な組み合わせによってリズムを与えるよう心がける。
いつも以上に手探りの創作となったが、意外な作風に仕上がった。
今回、はじめて背景に色をつけた。この作業はもっともスリリングでわくわくした。

二本立ての短篇原稿は、ひとつはいったん脱稿したのち集中治療室入り、もうひとつは控え室で待機。
そのほか、扉の言葉、エッセイ、表4の詩、はほぼ上がり。

五號は、シモーヌ・ヴェイユへのオマージュ作品となる。
テーマは…

真夏のシジミより

朝一の労働からの帰路、居住区の外壁の角っこに蝉の抜け殻を見つけた。
羽化という仕事を完遂するのに、場所など問うてる余裕はなかったのだろう。
しょせん、人間のつくったものなぞ、虫の一生にとっちゃ与り知らぬ夾雑物にすぎないのである。
細い足で踏ん張る薄いカルシウムの殻は、かちりと壁面におのれを引っ掛けて静止していた。
わたしはそいつを壊さないように慎重に壁から解いてやり、
やわらかく握った手のなかにしまい、拙宅まで連れて帰った。

蝉の抜け殻は、二つの抽象的意味を隠し持っている。
わたしが勝手に隠し持たせたのだが。
ひとつは、広島の原爆。
もうひとつは、善意である。

かつてわたしは、青々と葉を茂らせたアオギリの木の幹の中腹に、
まるで空へ向かって梯子をかけるようにして蝉の抜け殻が列をなして並んでいるのを見たことがあった。
8月だった。
このアオギリの木は、被爆してもなお繁茂しつづける木として原爆記念公園の片隅にしずかに生えている。
以前、Matsuoka Seigow氏の私塾でこういう句をつくったことがあった。

   原爆忌、脱皮している大過去が 

8月6日は過去ではない。
原爆ドームは遺構などではない。
それをなつかしむようなまなざしで見上げてはならない。
広島の原爆は、いまも広島に落ちつづけている。
8月6日は過去ではない。
わたしたちが知っているような過去ではない。
わたしたちの知らない「過去よりももっと奥のほうにある過去」が、そのことを知っている。
「過去よりももっと奥のほうにある過去」から、広島の現在が、わたしたちの現在めがけて脱皮をしつづけている。
原爆ドームのあの天蓋も脱皮しつづけている。
過去からの警告としての脱皮。サイン。永久に反復再生されるそれ。
広島には、いまもなお、あの原爆が落ちつづけている。
そして、その落下はわたしたちの忘却を前提にしているともいえるのである。

アオギリの木の前に立ち、偶然下から仰ぎ見て目撃したあの光景に、わたしは大いに驚き興奮した。
わたしは、そこに、広島の脱皮を見た。
そして、じぶんでつくった句の意味をありありとそこに見てとったのである。


後者は、わたしが昨年秋に群像に提出した169枚の中篇小説と関係する。
小説の冒頭では、広島で目撃した抜け殻が〝ある特殊な善意が迎える結末〟の比喩として扱われるかたちで、登場する。

   …

シモーヌヴェイユ/交渉

初夏の草木が緑を放つ。水と光のはたらきがその緑を謳歌する。
植物は、天と地のあいだに立つ地上の天体。生える心臓。
植物の根は重力に従順に地へ差し向けられ、葉はその根が吸い上げる養分を恩寵とし、
もうひとつの恩寵をもたらす太陽の光へ差し向けられる。
地へ落ち込み天へと伸び、地を吸い上げ天を希求する。
その下降と上昇の垂直運動から、神話性はゆるやかに導き出されるだろう。
植物が放つ性は、人間の性の限界を超え、有機体としての宿命を暗黙裡に語りはじめるだろう。


ひとつの幻影がそこへ差しかかる。
いや、ひとつの幻影のほうへそこが差しかかる。
交渉の発生。そういう交渉のあり方。
光合成というはたらきに植物の神秘を見てとり、それをそのまま生命の信仰として持とうとした
シモーヌヴェイユの幻影は、
痛ましいほどにみずからを低いほうへと向かわせることで絶滅と永遠を望み、
光と影の相反を訴えながら、霧のような燐光を放って高みへ向かって落ちていく。
その光は他の追随を許さぬ鋭い輝きで光り、その影はとてつもない孤絶を内に秘めてかげる。


シモーヌヴェイユというひとつの霊性は、真実との交渉を希求した。
その希求が、彼女の信仰を支えていたのではないだろうか。


ぼくはいま、
シモーヌヴェイユが放つその草いきれを、思い切り吸い込んでみたい気持ちでいる。
こういう気持ちは、たいがい、周期性を持って訪れる。
いや、周期性などといった言葉でこの延滞をごまかしてはいけない。
ぼくは、もう4年近くもシモーヌヴェイユの言葉をほとんどまったく放置してしまっていたのだ。
その幻影とそれへの思慕が、いくぶん、日常に溶け込んでいたとしても。
無知の常習性ほど怖ろしいものはない。
忘れていて済むものとおもっていられることの可能性を疑いたくなる。
その怠慢を切り裂きたくなる。ナイフの切っ先は、ぼくの手首に当てられる。


いまこのぼくのなかをよぎるものについての考察ーーー。

   ポエジー
 ポエジーの仕事は、たゆまぬ受容と創作にあると考える。
 その受容と創作の方向性を担い、この仕事をその方向へと押し進める原動力となるものは何だろうか。
 それは、知られざるものとの交渉であろうと思う。
 知られざるものとは何か。
 それは、ポエジーが相手するところのことごとくに当てはまるものであろうと思う。


   共感
 本質的な部分での…

谷中さんする四号

むかし、東京には谷中安規さんという芸術家がいて、その人は版画をたくさんたくさんつくっていた。
日本が戦争に負けると、焼け野原に粗末なバラック小屋を建てて住み、
にんにくを齧って暮らしていたのだけれど、栄養失調でついに死んでしまった。

ぼくは痩身で、だからかどうかはわからないが、
YOUを見てると谷中さんを思い出すのよ、とある人がぼくにいったことがあって、
それで、ぼくは谷中さんのことを知った。

谷中さんの想像力は、楽園と魔界につうじているとぼくは思っている。
グロテスクな顔とロマンティックな顔を、あの小さな紙の上で自在にあやつってみせる。
まるで、いつまでも曲芸を見せつづけるサーカスのようである。
その曲芸をささえる源の想像力は、百年かけても尽きそうにない。

一年に一度は、ぼくは谷中さんのことを気にかける。
で、ついこないだも谷中さんのことが気にかかり、今度は少し本格的に気にかけてみようと思って調べていると、
ちょうど兵庫で展覧会が開かれていることがわかって、足をのばしたのである。
その展覧会で、谷中さんが内田百閒の本の装丁の多くを手がけていたことを知って、おや、と思った。
というのも、
それより少し前に、ぼくは黒澤明の遺作「まあだだよ」をたまたま見ていた。
この映画は内田百閒のことを題材にしたもので、
ちょうど内田百閒のことがいよいよ気になりはじめていたころだったので、おや、と思った。
「ノラや」という素晴らしい随筆があることも、この映画のなかで知った(すぐれた随筆ほど、よい文学作品はない)。
そういうわけで、
谷中さんと百閒が、一度にどどどとぼくの頭の玄関先に押しかけてきた感じであった。


話は一気にシジミへ飛ぶのであるが、
今回、四号の表紙を、ちょっとだけ、谷中さんしてみた。
谷中さんした、というのは、墨を用いてみたということである。
卵白を混ぜた墨でつやを出していた、という話を思い出し、それを真似てみた。
さすがに版画するまではしなかったが、なりゆきで小さな木箱の底を使った。
これに、卵白を混ぜた墨を適当に塗り、べたんと紙の上に押す。これだけ。
それをつづけて四回行った。
まさかの四行程で出来上がってしまったのであるが、
古いアナログカメラで撮った写真が、現像すると面白い仕上がりになるのに似て、
卵白を混ぜた墨はなかなかよい働きをしてくれた。
ベタっとした…

infra-mince考/メモ

inframinceの属性−−−



「分離の近さ」 −−−約束された近さ。 

/ 

分離とともに近接する波 −−−触れ合いの波。 
その波から粒へと微分されようとしていく数々の触れ合いのタイミング。 



波から粒へと微分されようとしながらも、粒には微分され得ないままで引き延ばされている網目状の波。

/ 

触れ合えるために必要なタイミングにまで近づかせるための遠近の調整。 しかし、それは離れていればいるほど強く働く。



離れていくほうと、離されていくほうとの交渉。



「離れていく」が断絶にならずに、反復の可能性へと引き戻されるような両サイドの関係。



裏切り・裏切られ をほのめかし(ほのめかされ)つつ、友愛の回復を先取りして期待しているような間柄。







ポエジーの呪法 /「ある予感」をめぐる短い談話

去年の夏は、折口さんを繙くチャンスにようやく恵まれ、
折口さんの詩や国学や「水の女」などの古代研究にほんの少しだけ触れることができました。

この初夏は、ブランショの復習と新たな学習の取り組みから、
分厚い気流に腰をかがめて入っていくようにして、
マラルメに近寄るであろう可能性を感じております。

そうして、いま、ぼくは、「ある予感」をふくらませるのです。

言葉というものが本質的に音声であることに考えが行き着き、爾来、
ぼくのなかで、言語芸術は「呪法」であることを免れないという思いが強くなってまいりました。
この思いは、あるひとつの経験を境に、決定的なものになったようです。
それは、ある舞台の観劇中に起こりました。
舞台終盤、暗転のあとに、二人の役者のセリフの掛け合いが突如はじまりました。
はじまるや否や、ぼくの体は、ほとんど自動的に(感情的にではないという意味合いで)、
まるで感電したかのように、掛け合いが放つ言葉の韻律に罹ってしまったのであります。
言葉の意味や内容や物語性は、そこではほとんど役に立たなかったように思います。
涙が滂沱のごとく溢れ出し、それをどうにも止めることができませんでした。
そのとめどない涙の流出は、ひとつの決定的な症状として、
とてつもない印象をともない、ぼくの体のなかに記憶されたのです。

ぼくのなかで、徐々に、しかし確実にふくらんでいく「ある予感」。
それは、ぼくの動機が「霊的なほう」へと赴いていくであろう予感です。
遅かれ早かれ、そのときは訪れるでしょう。
それも、なんとなくではなく、免れ得ない働きかけをともなって、なのです。
ぼくは、ここで、精神性の話をするつもりはありません。
霊的な体験をみずからに奨励するような類の話ではないのです。
そうではなくて、
言葉、言語芸術、あるいはもっと踏み込んでいえば、ポエジーの話をしようとしています。
「霊的なほう」へ。
これは、ぼく個人による要請ではなく、ポエジー側からの要請なのです。
だから、それを無視することができないのであります。
マラルメもまた、やはりその「霊的な」要請から免れ得なかった。
マラルメに見られるこの事情は、ポエジーを語る上で、極めて重要な傍証となるはずです。

ポエジーの読み取りは、音楽家が譜面を読み解く行いに似ています。
譜面を読めない素人にとって、音符の配列は暗号のような…

infra-mince考/『マルセル・デュシャン、メモ』No.10をめぐって

Matsuoka Seigow氏が、あるとき、少人数を対象に行った講習会の場で、こんなことをお話しされた。

「いま、僕は諸君に向かってこうやってマイクでしゃべってます。僕の後ろには、ホワイトボードがあって、そこには
何か文字が書かれてる。で、ここで僕がこう、ホワイトボードのほうを振り返る。そうすると、諸君のほうを向いて
喋っている僕は、ホワイトボートのほうへ体を向ける僕へ移っていく、入れ替わっていくわけですね。そのときに、
いい?そのときに、喋っている僕と、何か書こうとして振り向くホワイトボードとの〝間〟に、何があるか、ということ
なんです。いい?そこを知りたいわけです。僕とホワイトボードの〝間〟がどうなっているか。」

数多く聞いた興味深い話のなかで、この話はいまでも私の記憶のなかに視覚情報と一緒に残っている。
「間 あいだ」というのは、Seigow氏がとても重要視している見方で、精神科医であり哲学者の木村敏さんも、
この言葉を好んで使われている。私は、あまりに頻繁にこの言葉が使われている場面に触れすぎていたのと、
あまりに簡単に使えてしまう言葉であると思っていたこともあって、意図的に用いないようにしていた。
Seigow氏が、この言葉を通して、微妙きわまりないことを説明しようとしているのは、感覚的にわかっていた。
表現へ向かう私の動機が、そういう微妙きわまりない方面に隣接しているという自覚もあった。
だから、なおのこと、言語化をする手前で据え置きしたいという気持ちがあったのである。
分かったようなつもりで口にしたくなかったのだと思う。


私がここで、わざわざこの〝間〟という言葉を引き合いに出すのは、
マルセルデュシャン(Marcel Duchamp)が残した infra-mince という暗号のような造語について、
何かを言わなければならないと思ったためである。

infra-mince/アンフラマンス
(infra-:「下部、下方」の意をあらわす接頭辞 mince:「薄い」)

岩佐鉄男氏によって、「極薄」と訳されたM.デュシャンの物の見方である。
訳者の岩佐氏は次のように言及している。

 この意味を的確に言いあらわす日本語をうまく思いつかないので、この訳稿では《極薄》という語をあてているが、
 たんに「極めて薄い」というのではなく、ちょうど赤外線infrarou…

書いてみないとわからない。(それと、シジミの近況少しだけ)

蜆TuRe四号、おおむね調理をし終え、メニューが出揃った。
このあと、デザイナーのYさんに盛り付けをお願いするわけだが、ここからが意外と長い。

兎にも角にも、四号手前までやってきた。

何かをはじめるときは、誰だってそうだろうが、先のことはわからない。
創刊号を出したばかりのときは、「とりあえず四号までは出す」というのが当座の目標だった。
四号まで出すといっても、二号、三号、四号と何を出していくかはじぶんで決めるのであって、
ほんとうに出せるのかどうか本人にもよくわからないまま、目先の次号のことを考えていた。
気がつけば、次は四号が出る。早いものである。

どうやって話のネタを思いつくのかと聞かれることがあるが、
ぼくは、いわゆるネタ帳といった類のものをつくったことがない。
覚え書くらいは残しておくが、それもたいして当てにしていない。
ぼくの脳みそは、基本的にアナロジー向きで、
何かひとつのこと(あるいは言葉)を思いついたところから、ぱっぱっぱと連想が開始する。
たとえば、三号の場合は、「足を洗う」というタイトルを先に決めていて、
そのタイトル名から連想される話を下絵なしに書きはじめる。
話のなかみは、漠然と幽霊をやろうとおもっていたので、
少しひんやりとした手触りの文体がいいだろうなというあたりをつけて、筆をとる。
PちゃんとQちゃんの話を書く前に、じつは別の話を書いていたが、どうもだめなのでそれは捨てた。
(いつか、こういうボツ案ばかりを集めて、蜆ぼちゅーるという名前で作品集を出せたらとおもっている。)
前の話を捨てあらたに書き直す作業は、素潜りにたとえると、ちがう場所から潜っていく感じである。
気持ちの入れ方から潜り方まで、がらっと変える。
経験と感覚器官をたよりに、潮の流れを読みながら、上手に潜っていく。
潜っているうちに、潜る前に予想していた流れとちがう流れに出喰わすことは、よくある。
ウニをとろうとおもっていたつもりが、気がつくと狙ったことのないアワビに食指が動いていたりする。

結局、書いてみないとわからない、というのがぼくのスタンスだ。
書くという行いは、まさに書いている最中に生じているから、
どんな行いになるか(つまり、何をどう書くか)は、よし書くぞといって書きはじめてみるまではほぼ未知である。
頭のなかでは、なんとなく像や筋書きが浮かんではいるもの…

目と耳のはなし

DIALOGUE IN THE DARKというワークショップに、一度だけ参加したことがある。
完全な暗室状態をつくった部屋の中を何人かのグループで歩く。真っ暗闇だ。ただし、地面は平坦。
先導役は目の見えない方で、ぼくが参加したときは女性だった。
ぼくらは、彼女の声のナビゲートに従って彼女のあとをついて歩いていく。
声のナビゲートは、こういう具合である。
「はい、みなさん。この先に小さな橋がかかっています。一列になってゆっくり渡りましょう」
「いまみなさんの足元に籠が置いてあります。しゃがんで触れてみてください。籠の中には何が入っていますか?」
「大きなテーブルのある部屋に来ました。椅子がありますから座りましょう。椅子が見つかりましたか?」
頼りになるのは聴覚と触覚である。
真っ暗なので怖い。当然、参加者の足取りはいちじるしく遅い。
その中で、ぼく一人だけ嬉々としてすたすた先へ進んでいった、らしい。
いっしょに参加したうちの人が、後で振り返ってそう話していた。
なぜうちの人がそれをわかったかというと、
ぼくはナビゲーターのすぐ後ろを付いていて、彼女が投げかける質問にすぐに応じられていたからである。
つまり、だいたい彼女と同じくらいの速度で歩いていたということなのだ。じぶんでもそれは自覚があった。
籠のくだりでは、他の参加者はなかなか籠を見つけられなかったが、
ぼくはすぐに籠を見つけ、その中身がカボチャであることを彼女に伝えた。

一番印象に残っているのは、暗闇の中でビールを口にしたときの体験だ。
参加者はあらかじめ好きな飲み物を注文し、ナビゲーターの方が注文した通りのものをぼくらの手元に届けてくれる。
ぼくはそのこと自体には、特に驚きもしなかった。
それよりも、ビールの入ったグラスを口に近づけた時、酵母の匂いがしたことに驚いた。
それまで酵母の匂いなど感じたこともなかったからである。
ふだんそこまで敏感に匂いを嗅ぎとらないのは、おそらく味覚が優先されるためだろう。
しかし、暗闇ではふだん発揮されない臭覚が働いた。
この発見は、ぼくを大いに喜ばせた。臭覚というものにはじめて出合ったような気さえした。
そして、ビールの味はいつもの何倍もビールらしく感じられた。

このエピソードは、ぼくが「視覚派の生き物ではない」ということを証明するための傍証である。
じっさいに、ぼくは「…

よろしく、スパーク!汽水空港byモリテツヤにとどける自由の紙

芝居に、「当て書き」というのがある。
あらかじめ役者を決めておき、その役者に当てはめて台本を書く。
A子にはこんなセリフを、B子にはこんな動きを、というふうに役者のイメージに合わせて
ト書きやらセリフを書いていく。
ぼくは、この当て書きというのがとても好きだ。
かつて劇団を立ち揚げ、一度だけ芝居を打ったことがある。
その芝居で出てくるスチェパンチコヴォよしをという人物は、完全に当て書きだった。
手紙を書くときも、手紙を出す相手に合わせて文体を変える。
人と話すときも、やはり、話し相手に合わせてトーンやモードは変わる。
いうならば、カメレオンのようなものだ。
相手の色に合わせて、こっちの色を好きに撰択する。
その日の気分や天気で、どの服を着るかを決めるのと同じである。
音楽でいえば、即興のセッション。そのときどきの風向きでリズムもメロディーも変わる。

たぶん、ぼくはじぶんが思っているよりも、人のことが好きなのだろう。
じぶんの目の前に、じぶんと何らかの関係性を持つ誰かが立っていれば、
その相手に対して「その人がその人である」という必然性を感じ取ろうとするし、
じぶんと相手とのあいだから何かとっておきの必然性を引き出しておきたくなる。
人といると、どうもそういう気持ちが先立つようだ。
それをどこまで表に出すかどうかは別としても。

熱しにくく冷めやすい。もっぱら、じぶんではじぶんのことを、こう思っているところがある。
だが、見方によっては、どうもぼくは、案外、超熱しやすく冷めにくい性分であるともいえるのだ。
それも、人の熱量を借りて熱するパターンが多い。
熱は細く長く引き延ばされた熱線となり、からだの深くに釣瓶のように降りていく。
そうして、からだの奥底で炭火のように燻りながら熱を放ちつづけるのだ。
あるとき、その燻っていた火種は何らかの条件をともなってスパークする。
どうも、そういった一現象がぼくという生態のなかには見受けられる。

前置きが長くなった。
今回は、ある人物の熱量を借りて、あるものを即興でつくった。
ある人物とは、鳥取松崎の自由人モリテツヤ氏だ。
モリ氏は、東郷池のほとりで「汽水空港」という自前の店を構えている。
小屋から棚から、何でも全部じぶんでこさえる。畑も耕す。肥料もつくる。
彼は、溢れ出す好奇心と飽くなき冒険心にもとづいて、つど、直感で動く。
気…

あゝ ヒューマニティー!

いま(=三號が出たタイミング)になって、なんとなくわかってきたこと。

それは、
蜆TuReを置いてくれるお店の人たちの、類まれなヒューマニティー。
ヒューマニティーといっても、人情のことをいいたいのではない。
むしろ、人の持つ感度というか、臭覚というか、虫の知らせというか、
そういうかなりぼんやりとした属性のほうをいいたいのである。

蜆TuReは、もし分類をするならば、
リトルプレスとか、ZINEとか、そういう割りかしお洒落系だったりサブカル系のジャンルに該当する。
創刊號を出した当初、つくった本人は、いったいこれが何なのかさっぱりわからなかった。
居留守文庫の岸昆さんは、「こういうのはZINEを扱ってる店に置いてもらえる」といった。
たまたま通信網で見つけたblackbird booksのページには、「リトルプレス」という項目があった。
ようは、ぼくは蜆TuReをつくった時点では、ZINEもリトルプレスという流行りの呼び名も
てんで知らなかったということである。
ぼくは、文芸誌を名乗っているが、
この冊子、いわゆる一般に文芸誌と呼ばれる媒体ほど、内容は充実していない。
文芸誌というより、個人作品集といったテイである。
もっときびしいことをいえば(実際にいわれたが)、
今日び、フリーペーパーでも蜆TuReレベル(あるいはそれ以上)の冊子ものが
出回っている。
というのが、当座、一般的な市場だそうだ。

それは、一旦了解。

ここでぼくの立場をはっきりさせておくと、
ぼくは市場は気にしない。無関心でもない。でも、気にしない。
ぼくが気にしたいのは、
あるいは気にするべきなのは、
置いてくれるお店とそのお店にやって来る読者のことにほかならない。
ホホホ座の店主山下さんがいみじくも指摘されたように、
蜆TuReは「個人作品集」なのであって、そもそも商品価値を付帯させることを第一に
考えてはいないのである。
もちろん、デザイナーのYさんはお店に並ぶことを想定し、あれこれ考えてデザインをしてくれた。
だが、デザイン以前の、この物体が持つ性格のことを見落としてはならない。
いわば、この物体はまだ、有り体にいったら蜆不水という一無名作家の存在証明に如かない。
「こういう存在証明証を発行したのでみなさんに認知してもらいたい」。
これが、この蜆TuReという物体が目下達成すべき第一の目…

キューピー誤植事件

先にもうゆってしまおう。
これは、三号の刷り上がりに誤植を見つけてしまったときの話である。
読者のみなさまには、誤植を訂正したものをお渡ししているはずなので、ご安心を。
三号の小品は、P(ぴー)ちゃんとQ(きゅー)ちゃんのふたごが出てくる。
前半はPちゃんしか出てこない。中盤、Qちゃんが出てきて、さいごにPちゃんとQちゃんがこんにちはする。
ところが、Qちゃんがまだ出てきてはいけない前半のおわりに、「Q」の字を1つ見つけてしまったのだ。
つまり、「P」と書かれていなければならない箇所が、1点だけ「Q」になっていたのである。
思わず目を疑った。汗がどっと出た。
こんなまちがいに、気がつかないはずがないからである。
そして、まさかこんなまちがいに、こんなタイミングで出くわすとは、夢にも思わなかったからである。
えッ?(ちょっと待て…)えッ?(ちょっと待て…)えッ?
と、こんなのを4回くらい繰り返して、ようやく「あ、やったな」と観念したのである。
定期読者のみなさんにお送りする分と、取り扱い店の方々にお渡しする分を、すっかり揃えて、
(封もしちゃって)あとは封筒に切手を貼るだけという段になって、信じられない誤植を発見してしまった。
「P」と「Q」の逆転なぞは、もっとも見落とすはずのない箇所である。
というか、文責としてあるまじきミステイクだ。だ、だ、だ。
WHY?
いつどこで?
わたしは、初校が上がってくる前の元原稿をひらいてみた。
「はい、やった」
案の定、元原稿ですでにまちがっていた。
つまり、そのあと、二校三校と赤入れをしている最中も、まったく気がつかなかったということだ。
バカか。トンマか。おたんこなすか。
なッ さけねえーー、の一言である。
でも、しょーがない。みなさまのお手元に渡る前に奇跡的に気づけただけ、よかった。
で、どうする?
「Q」の文字の上から「P」を貼っつけるまでだ。
どうやって?
予備を使い、ひたすら「P」の字だけをいっこいっこ摘出するんだ。
「了解。」
もう夜中だったが、すぐに作業に取り掛かり(途中で少し寝て明け方また起きて)、
朝までに当座必要な約「60P」の摘出および縫合手術を完了した。
そのまま、昼過ぎくらいまで、追加「60P」分を摘出し、縫合した。
やるたびに作業がスムーズになっていく。もはや、職人芸だ。(ここは笑うところです)
4…

1号派? or 2号派?

蜆TuRe、読者のタイプが1号派と2号派に大きく分かれた。

1号派は、どちらかというと、ガチな芸術ヨリ。2号派は、どちらかというと、ザックリの芸能ヨリ。

ここで勝手に具体例として引き合いに出させていただくと、

居留守文庫の岸昆さんは「1号派」で、汽水空港のモリさんは「2号派」である。

岸昆さんを含め、1号派は2号をあまり評価していない。

対して、2号派は、1号がいまひとつピンときていない。

こういう傾向が、ある。

1号をぼろんけちょんに叩いたとある友人は、2号を手放しで絶賛した。

岸昆さんが、2号の出来を1号に比して「後退」という言葉であらわした。

当の本人はといえば、

1号と2号とでやったことのちがいはわかっているので、

そのちがい分、ウケが変わったのだろうとまずはおもう。

1号は、あれは蜆カラーをそのまま出した小品である。おそらく、そういっていいとおもう。

で、2号だが。2号は、「こういうのはふつうオレは書かない」というのをやろうとおもってやってみた。

2号では、ほんとうは別の作品を予定していて、

直前までかなり詰めていたのだが、泣く泣くボツにし、『ブラックバック』になった。

2号を、ああいう、いくらかキャッチーなテーマに選んだのにはワケがある。

ひとつは、1号を読んだ読者の反応がうすかったこと(表紙の反応は頗るよかった)から、

どうも『揚げパン』は読みづらいのかもしれないと書き手のわたしは感じた。

せっかく定期購読してもらっている以上は、読み物として少しは満喫できるものでないと

いかんだろうという反省もあった。

それでまア、その時局のうんぬんは置いておくとして、

去年の暮れは、わたしが大杉栄の自叙伝に惚れ込んでいたこともあり、

往年くすぶっていたピストル的なものへのあこがれを一丁注ぎ込んでやろうと決めたのだ。

ではひとつポップな路線でやってみよう。

それで出来たのが、2号の『ブラックバック』である。


で、だ。

2号の反応がおもいのほかよかったことに、わたしはどう感じたかというと、

はっきりいって、あまりうれしくなかった。イヤだなとおもった。

「話として読めた(読んでもらえた)」という点においては、

「ああよかった、オレの書く日本語はちゃんと日本語だったんだ」と安堵し、よろこんだ。

だが。

わたしは、エンタメをやるつもりは毛頭ない。

消暇読物をこさえるくらい…

そのひとのために書く

蜆(シジミ)というおかしな名を名乗り、小生は
極私的な一人文芸誌『蜆TuRe(シジミチュール)」を人の手をお借りして
世に出したのであります。
文と絵を小生がこしらえ、それらの素材を信頼するデザイナーYさんに託して
冊子のかたちになるように設計してもらうのです。
どうせなら、デザインもじぶんでやってしまえばよいではないか、
そうおっしゃる方があるいはおられるかも知れない。
しかし、それはまったくちがいます。
Yさんの一連のデザイン仕事は、「(小生が)じぶんでやってしまえばよい」といえるレベル
からはるか遠くかけ離れたところで為され得るものだと、小生は知っているからであります。
その技能と感性は、得難いものであるということなのです。
小生も、そのことを実感し理解するのに少しく時間を要しました。
だが、時間を要した分、揺るぎない考えになったのです。
Yさんの仕事がなければ、蜆TuReは、物理的にのみならず、実質的に〝普及〟し得なかった。
これは真実です。

小生にとって、蜆TuReは、ひとつの練習帖であるといえます。
練習帖と申し上げるのは、実践の試みという意味であって、
練習とはいえ、読者の皆さまの前にお見せするものは、
小生なりに練りに練った上で披瀝する「本番」にちがいないのです。
そして、この試みは、
蜆という一人の個人において生じ、個人において滅するという属性を持ちます。
その属性において、小生の練習帖は孤独である宿命を免れないとかんがえます。
小生はこれまで日日、何かにつけ、書いてはきましたが、
それは依然として「書かれるための書くという行為」に過ぎなかったろうとおもいます。
そこを乗り越える必要があったわけなのです。
そこを一歩またいで、「読まれるための書くという行為」へ向かわせることが必要でした。
小生が蜆TuRe発刊に踏み切った最も強い動機のひとつがそこにあります。
どうするかを決めるのはさいごは本人ですが、
正しい判断を下すためには、まったくひとりで行うというのは限界があるものです。
発刊を踏み切るに至るまでには、数多くの説得が小生に対してなされてきました。
そしてもうひとつの強い動機。
それは、いまじぶんが持っているものを、いま全て投げ出せるかどうかということです。
もし、それができないのであれば(出し惜しみをする逃げをとるようであれば)、
所詮オ…

Hatch out now Ⅱ

三號のテーマは、「耽美」。 ということで、 ちょっとムーディーにアラーキーしてみると、こんな感じに。
えー先に見せちゃうのマズくないですかー、って? へーきへーき。まず誰も見てないから。
でも、どんなお話かまでは、ぼくの口からはいえません。













Hatch out now

こちら三半亭、三半亭。

え〜蜆TuRe第三號、第三號、

ただいま孵りました、どうぞー。

あ〜、ぱっと見は、白。

じっさいは、若干うすむらさきがかっている、どうぞー。












みずからに問うてみてわかること シジミの勉強会(休憩時間)

作家、三半亭の座卓の前に座りて、なにやら思ひ定まらぬ様子。
おもむろに抽斗から半紙を取り出し、筆をとる。




前略
お前さん


さっきおかしな探偵がやって来て、余にいろいろ聞いて帰っていった。
あんなふうに突然来られると、余も困ってしまうのだが、どうにかお茶を濁して追い払ってやった。
キャツは、余に問うた。お前はどうしてシジミというのかと。
余はおもうた。ホレ来たまただ。
余にもっとも近しい事柄であるはずなのに、それを聞かれて余はこれまでうまく答えられた試しがない。
無論、余は何の考えもなく、ただ雰囲気だけでシジミと名乗り出したのではない。
ちゃんと考えと信条と目論みがあってのことである。
でも、これがなかなかうまくいえぬ。
真剣に答えようとすればややこしい印象を与えかねず、軽く答えてみればなんだそれだけのことかと飽きられる。
いや、ちがうのですそうではないのです、ことは単純でつまりは云々、あるいは…実はかくかくしかじかの言い分が
ありまして云々、などと慌てて訂正を申し入れる始末なのである。
そのうち、聞いたほうも、へえとかふうんとかやり過ごして、話は尻つぼみになり、ついには立ち消える。
だめだこりゃ。余は忸怩たるおもいを胸に、きゅっと小さくちぢこまり、ただ黙るのみ。
このときが来てはじめて、余はおもいいたる。
アアそうだった、シジミとはこのような余のあり様を指していうのだったと。
だけど、いざ聞かれるとそれが先に出て来ない。引っ込めてしまう。引っ込めて、それよりも何かもっと魅力的な
理由を魅力的に語って差し上げようというサービス精神が先だってしまう。早い話が、背伸びをしようとするのだ。
でも、背伸びはしたくないので、言葉につまる。どういおうかと迷っているうちに、その話は宙ぶらりんになって、
二度と答えるチャンスは訪れない。

余がシジミという筆名を撰択してから、三年ほど経つ。
名付けた当時のころを純粋に振り返ってみると、余は、あのころ、ただただ静かな名前を必要としていた。
だから、はじめにまず 水 という字を撰択した。余は、もとより水が好きであったから。
それに、suiという音もよい。そこに 不 という文字がついて、不水となった。
不は打ち消しの意であるが、この不はあとの水にかかっているのではない。そこに、一文字フッと浮き出している
ようなイメージで 不 と置きたかっ…

暇な人たちの対話 シジミの勉強会(前半)

人。A作家 B探偵
時。二〇一六年三月二十九日午後
処。千里山 三半亭

(作家、炬燵による。空薄曇り、春寒の香を放てり。探偵、入りて来る)

B いやどうもまだ冷えますなア。すんませんねエ、急におじゃましちまッて。

A いいよどうせぼく暇だから。

B またご謙遜を。

A 謙遜するほどの身分ぢゃないね。アア…

B あれエどうされました。

A いやおもたいんだ。

B おもたい?お召しの袢纏が?

A 目だ。おもたいんだよ。

B 目が?文字ばかり見てるんですからムリもないでさア、はア、おつらいんでしょうなア。

A いやこれは、貧血と神経症のコラボレイションだよ、きみ。

B はア。

A それでなにかね。

B はア?

A キョーはなんだね。

B あ、キョーですか。えエ…キョーはア…と

A はやく済ませてくれたまえよ、こう見えてぼくも忙しいんだから。

B さっき暇だって…

A なにかね。

B いえなにも。いやあのですねエ、ちょっと気になることがありましてねエ。
こんなこと聞いていいのかなとおもうんですがねエ。そのオ、なんでアンタは、シジミっていうんです?

A それはね、諸説あるよ。

B またア、そうやって煙に巻こうっていうんでしょオ、やだなア。

A 老子の線を当たってみるといいよ。

B ずいぶん他人事だね。

A いやひとついっしょに当たろうぢゃないか。

B エ。アンタ、シジミってじぶんでつけたんでしょ?

A 左様。

B それもだいぶ時間かけてさ。

A うん、かけたかけた。まずだね…

B ア、ちょい待ちヨ、メモりますんでサ…ローシね…老子…と。で、老子がなんですって。

A 水だよ。

B み、ず…と。はいメモりましたと。

A ぼくも不勉強なんだからそのつもりで聞いておくれよ。老子という本にはこう書かれている。
天下に水より柔弱なるは莫(な)し。ーー任信第七十八
ぼくはねエ、きみ、柔弱を愛するのだ。そりゃきみねエ、ぼくは頑固で人たらしな生臭くて気の短いニンゲンだよ、
そりゃもうなさけないくらいだ。でも心のほんとうのところでは、柔弱を愛してます。それは、はっきりといえる。
こういう話をしてると自然と涙が出てきてしまう。真剣。アア…柔弱。柔弱というのはつまり、きみ、ソノ、ひとつ
のフラギリテートfrafititaetだよ。フラギリテートというのは、なにかね。幽霊だ。存在の薄はかなさだ。

玄界灘を見た話 追憶の朝鮮半島 其一

ある初夏のこと。

私は天神駅から地下鉄に乗りローカル線を乗り継いで、海の中道という終着駅に降り立った。
ここを西の方角にまっすぐすすめば志賀島にたどり着く。
海の中道はその名のとおり、海の真ん中を走っている。
海はこの道で二つに分かたれており、
志賀島の方角を背にして、右側には博多湾、左側には玄界灘が広がる。
つまり、海の中道は博多湾と玄界灘の境界線上にのびている道というわけである。

玄界灘の海を見たいとおもっていた。
その海を見ながら帰化人に想いをはせたかったのだ。
駅を降りると、そこは海浜公園の入り口と隣接していた。
玄界灘のほうに抜けるには入園しなければならないようであった(と後でわかった)が、
公園へ入るのは気が進まなかった。
それで、反対の博多湾のほうへつづく道をすすんだが、
そっちは人気のない水族館のほかは何もなかったので駅まで引き返した。
駅前にあった地図をいまいちど確認する。
公園に入らずに玄界灘のほうへ抜けるには、海の中道を西か東のどちらかへ
ひたすら歩きつづけるしかないということが、そこでようやくわかった。
西へ行けば志賀島だが、海の中道駅より西へは路線がとおっていないので行っても戻ってこられない。
そうなると、必然的に東の方角へ歩くほか選択肢はない。
どうしようか少し迷ったが、逸脱を辞さない私の本性が勝手に私の足を東へ向かわせた。
どこかで玄界灘へつうじる道がのびているにちがいないという予測をつけて、
東を目指して一本道の国道を歩きはじめた。
国道を挟む左右の砂州はどちらも海浜公園の敷地になっていて、高い鉄柵で囲われ、
歩行者が勝手に入れないようになっていた。
柵は延々どこまでもつづいていた。
それでも、おそらくどこかで途切れるはずだと私はおもっていた。
歩きはじめて2時間近く経ったあたりで、左に曲がる狭い道がようやくあらわれた。
私はその道を道なりにすすむことにした。
はたしてこの道が玄界灘につうじているかどうかは不明だったが、
逸脱の本性が私をいざなうのだからそれに従うまでである。
道の入り口で、ハイキングの格好をした男性が歩道に腰を下ろして休んでいた。
グレイスーツにスニーカーという私の出で立ちが、その道を行くにはあまりに似つかわしくなかったのだろう。
男性は、目の前を通り過ぎていく私のことを奇異なものを見る目で見ていた。
このまま登…

荷風さん

このほど、岩波の荷風全集繙き、最終巻の年譜を通読する。

一九五九年(昭和三四 己亥)八〇歳
一月一日より浅草に行き、アリゾナで食事をとった。
三月一日、浅草に行き、アリゾナで食事中發病、「病
魔歩行殆困難」(日記)を感じ、驚いて自動車に乗っ
て歸宅、病臥した。以後、浅草に出遊することもな
く、近くの大黑屋で食事をとった。
四月二日、市川郵便局で文化勲章年金四五萬圓を受
取った。二九日、午前一一時頃大黑屋に行き、一級
酒一本とカツドンをとった。三〇日、午前九時頃、
手傳いの福田トヨが掃除に来て聲をかけたが、返事
がないので奥六疊の襖を開けたところ、荷風は布團
から半身乗り出して俯伏せで吐血し死去していた。
死亡推定時間は午前三時頃、病因は胃潰瘍の吐血に
よる心臓麻痺として診断された。

荷風の最期の場面をふたたび読んで、私は「荷風さんは捕まったのだ」とおもった。
「布団から半身乗り出し」たのは、むろん、吐血するためだったにちがいない。
だが、その半身乗り出した恰好は、かくじつに荷風へ忍び寄ってきていた死の手が、
四月三十日推定午前三時に臥床の彼をいきなり襲い、遂にその手に捕えられてしまった
刹那の姿勢のように私にはおもえる。
いきなり迫ってきた魔の手を感知した荷風が、逃がれるべくか反射的にか、
慌てて布団のなかから這い出ようと半身以上体を乗り出したところをガブリと捕らえられ、
布団のなかへ半身まで引き摺り戻されたのではあるまいか。
そんなふうに私は想像してみるのである。
そして、私は、荷風臨終の場面において働かせた想像力をもう少し引き延ばして、
さらに次のようなことを考えるのだ。
私たちはみな、つねに何かに捕まりながら生き死にをしているのではないか、と。
私たちが老いるのは時間に捕まるからであり、正気を失うのは観念に捕まるためではないのか。
産まれたばかりの赤ん坊が泣きじゃくるのは、
突然に生の手によって捕えられた驚きからや、あるいは悔しさからや、
とにかくも、一抹の抵抗の最中にああして泣きじゃくるのではないかとおもえてくるのである。

「二九日、午前一一時頃大黑屋に行き、一級酒一本とカツドンをとった」。
ふとおもう。荷風さんがさいごに食べたのははたしてカツドンだったのだろうか、と。
二十九日の晩も、なにか召し上がられたのだろうか。お節介ながら、そんなことをついおもっ…

思考の吃りとせつなっぺ

じぶんという人間の小ささにつまずくと、
精神や思考が吃って、
なんだかとてもたよりない気持ちになる。
そういうときは、
きゆうとちっちゃくなって、貝になりたくなる。
失語してしまいたくなる。
われながら、よくぞシジミと名付けたもんだ。
イヤイヤ、それでは本物のシジミに失礼ではないか。


精神や思考が吃るときというのは、
精神や思考をひらこうとしているときで、
ひらこうとするのだが、
うまくひらいていかないので、吃る。
あるいは、うまくひらかなかったらどうしようとおもうので、吃る。
(吃りは、発語の際に「吃ったらどうしよう」とおもうために起きる、と
 あるものの本に書いてあった。)
だが、精神や思考なんてものは、
考えてみれば、
もともと吃りっぱなしだ。
(吃りながらも、みな、どうにかバランスを保っている。)
それが、
内向きの吃りなのか、外向きの吃りなのか。
ここに、大きなちがいがあるとおもう。
内向きというのは、
私と別の私とのあいだで対話がなされる場合で、内省や独り言のようなものとする。
外向きというのは、私と他者とのあいだで対話がなされる場合で、
他者を意識し、他者とのやりとりが発生するものとする。
たとえば、
いまこうして言語をたよりに何か言いたいことを書いているのは、
内向きの行いである。
書きながら、じつは、ああ書こうかこう書こうかと迷っているわけだが、
その迷いには、内向きの迷いと外向きの迷いがあるのだ。
「ぼくはこういうことを言いたいのだが、それを言うためにはどう書いたらいいか?」
これは内向きの迷いであるといえる。
書き進めているうちに、ハタとこの記事を読む人の側に立ったときに、
「これを読む人はいったいどうおもうだろう?ひとりよがりになっていないだろうか?」
という疑問を抱くことになるのだが、
この場合は外向きの迷いが生まれているといえるとおもう。
外向きの迷いが生まれると、トタンに筆がもたつく。つまり、思考が吃るわけだ。
ぼくはこんなことを書いて、いったいどういうつもりなのだろう?
こんなことを書いているが、ぼくはどこまでちゃんとわかって書いているのだろうか?
読む人にじぶんの精神世界を見せつけて、どうしようというのか?
これを読んで、少しでも人は関心を持ったり納得したりすることができるだろうか?
ストレスを与えてはいないだろうか?
ただ、こ…

自由への大きさ

年をとるのは楽しい。
時間を経ただけ、じぶんのまわりで未知が目覚めていく気がする。
(ぼくは人より10年遅れてると信じている。)
細胞分裂が描く成長曲線は、だんだんとゆるやかになり、下降の一途をたどるけれど、
そのかわり、皺は深くなり、生命のしずけさは分厚くなっていくように感じられる。

むかしは苦手だったことが、年を経るごとに愛着を持てるようになるのはいいことだ。
ぼくは、子どものころは、歴史や地理や理科がたいへん苦手だった。
日本史はすごくイヤだった。
星座とか地図とかは何の面白みも感じられなかったし、
小学校の理科のテストでは30点をとってしまい、あまりにもマズイので、
部屋の小棚に隠してしまったほどである(ただ、実験はつまらなくはなかった)。
図画工作や美術は、まあまあ苦ではなかった。得意だったからだろう。
体育なんぞは、短距離や持久走くらいならまだよかったが、マット運動やハードルや球技などは、
何のためにわざわざこんな面倒なことをやるのか判然とせず、正直バカバカしくてやってられなかった。
(そんなぼくも、2歳から小学校5年までスイミングスクールに通い、地元のサッカークラブで3年間活動した。
中学では帰宅部にもかかわらず、運動会ではどういうわけかずっとリレー選手に選ばれた)
それがいまでは、どうだろう。
歴史への苦手意識など微塵もなくなった。
山岳地帯や河川や地理が好きになり、地図を見るのも面白いし、天体にはときめくし、
物理やバケガクもできるだけ近くに感じていたいし、生物や植物なんかはワクワクしてしまうし、
身体や解剖学への関心は日に日に高まるわけであり、球技は相変わらず好きになれないが、
登山家やトライアスロンの選手やダンサーなどにはあこがれさえ抱くようになった。
どうだ、いまのぼくはこんなに成長し変革を遂げたのだぞ、すごいだろう、
とかいうことをいいたいのではない。
むかしはむかし、いまはいまだ。あまり、比べてどうこういうものでもない。
しかし、どこかで変異は起きたはずである。
いろんな言い方ができるとおもうのだが、
いちばんの大きな理由は、どうしようもなく何か「ものを書きたい」という欲求が高じたところにある。
ぼくは、高校の終盤になるころまで、まったくといっていいほど自発的に本を読んだことがなかった。
だから、いったいどこでどうやって言葉を吸収して…

耽美を、mg(ミリグラム)。

今回は、あれでいこう。

だいたいそうやって当たりをつけ、鍋でお出汁をとるように、おもむろにアイデアを火にかける。
イメージをセンテンスに熱変換し、センテンス間の分子結合のバランスをととのえながら、
じぶんの表現したいトーンをにじみ出させていく。そんな感じである。
この当たりをうまくつけられないと、トーンがなかなかつくり出せない。
たとえば、二號のときは書く前から「ピストル」でいこうと決めていた。
(だから、とうぜん表紙もピストルになるだろうとおもったが、そこはそうはならなかった。)
ぼくのなかでここ数年来くすぶっていた熱いものを作品に注ぎ込むのに、
ピストルというメタファは非常に役に立つと考えたからである。
そのせいか、少し風刺のきいたはなしになったかもしれないが、
ひとつことわっておくと、ぼくは、時局というものにはまるで無頓着だ。
かといって、完全に無関心ではいられない。同じ時間を過ごす隣人のことは当たり前に気にかかる。
ただ、そういうものに気を取られすぎて、
ひとの自然な感性が振り回されたり、なにか大きな力に回収されたりしてしまうのは、
とてもつまらないし、もったいないことだとおもう。
だから、我かんせず、と涼しい顔して偏屈に時代の風をやり過ごした
鏡花や荷風さんがぼくは好きである。
どこかアナルヒーな匂いのするところが、ほっとするのだ。
さて、ぢゃ、Bang!とやった次の三號は、なにでいこうかと考えるわけだけれども、
あまり迷わずに「耽美」でいくことに決めた。
そうすると、ふっとHans Bellmerの球体関節人形なんかが近づいてきて、
ぼくのハートはまるで病にかかったように奪われてしまう。
このごろは、三島由紀夫がいうところの道徳的ニヒリズムの感覚がじぶんのからだのなかで
免疫力を高めはじめているのか、そういうニヒリズムをとおしてベルメールの人形を見ていると、
そこにひそんでいる痛烈な訴え(あるいは、秘密を発見したときの焦り)のようなものが、
かえって、ありありと目の前に迫ってくる感じがするのである。
そういうときは、ベルメールの波長とじぶんの波長とが、どこかで少し重なり合って
バイブレーションを起こしているのだろうとおもう。
じっさいに、三號がどこまで耽美なものになったかは…ご想像におまかせします。

作品からは少しはなれてーーー。
ぼくはしょっちゅう…

三號は春の水羊羹。

作り手の立場から、蜆TuReをやってよかったなとおもうことが、ふたつある。
ひとつは、じぶんの文章のクセにいやでも気づかされること。
ぼくの書く文章のクセは、ぼくじしんにとっても、かなり手ごわい。
しかし、もしこの先ぼくに書きつづけるつもりがあるならば、
ぼくはこのクセを経験し、じゅうぶん理解し、そして正していく必要があるだろう。
病気をすれば医者にかかるように、この手のクセにも医者が要る。
じぶんではなかなか、クセをつかみきれない。それどころか、つかみ損ねたり、とり違えたりする。
だから、クセを言い当ててくれる他者が必要だ。そして、そういう人を身近に持てるひとは、幸運だとおもう。
もうひとつは、工作をする機会が得られたこと。
蜆TuReの最もおおきなミッションのひとつに、「持っているものを全部出せ」というのがあって、
工作もその「全部」のひとつに数えられている。
ぼくにはもともとずぼらなところがあり、要請がないと、なにもしない。
要請がなくても、ボランタリーに行うのは唯一書くことくらいである。潜在的な危機意識が働くらしい。
そういうわけで、工作の機会なぞは、日曜大工の真似事くらいでしかめったにお目にかかれない。
電動ドリルを使って本棚をつくるとか、あり物を使って生活に役立つちょっとしたものをつくるとか。
ぼくのこれまでの人生で、自慢できる工作は、
小学校一年生のときに金賞をもらった版画くらいではないだろうか。
その版画は、気のおもむくままにつくったという感じでいっぱいなところと、てらいがないところがいい。
ほかにも印象に残っている工作はいくつかあるが、
どれも、自由さに欠けていて、おまけにどこかに媚びがあり、好かない。
話がそれた。
文もグラフィックもじぶんでやる。これ、蜆TuReのもうひとつのミッションである。
文のほうは書きはじめる前からだいたい見当がつくのだが、グラフィックのほうは、やってみないとわからない。
蜆TuReの工作も、だいたい、あり物でやる。そのほうが、なんだかわくわくして楽しい。
ブリコラージュという言葉があるが、感覚としてはそれに近い。
ちなみに、二號のグラフィックは、あれは古新聞(70年代のIRISH TIMES)と雑誌を切り貼りしてつくった。
さきにいってしまうと、三月発行の三號は、チョコレートの包装紙と烏龍茶パックの濾紙を使っている…

元町の1003(センサン)とキザなM氏のはなし

本のカイシャをやめ、あたらしいカイシャにつとめ、ケッコンし、
こないだケッコンシキをあげたばかりの友人M氏と会う。
M氏は、どこか、晴れときどき曇りのような、疲れの抜けない顔をしていた。
聞くと、その日は昼から下界へくり出し、長い散歩をしていたそうである。
すでに、一杯ひっかけてきたらしい。

蜆TuReの新しい号が出ると、一献の口実ができる。
また出たので、といって、約束をとりつけ、会えばしみじみ訥々と(ときに陽気に)やる。
あるいは、また成果物が出来たので(小説のこと)、とかいいながら。

M氏は無類の本好きで、ぼくが話に出す〝本絡み〟のことがらは、たいてい彼の射程範囲に入っていて、
ひとつなにかを話すと、ぼくにとって未知なことがらまで芋づる式に引っぱり出してきてくれる。
まさに、打てば響く人である。
(側から聞けば、たいがいマニアックな話題ではあろうけれど。それが何か…?)
彼とは、本のカイシャでいっしょに労働した。彼は新卒からずっとそのカイシャではたらき、ぼくは中途で入った。
彼の仕事ぶりは、いつも周りのみんなを驚かせ、
ある同僚は「Mくんはひとりだけ銀河系で仕事をしている」といって、ため息をついていた。
すばらしい比喩だ。ため息をつく理由は、わかる。

M氏の仕事ぶりのことは、さておいて。
ぼくとM氏を「一杯やりましょう」のあいだがらにしているのは、まず、本であろうから、
ま、だから、その、本のことを。
本のカイシャと書いたが、
本のカイシャだからといって、みんな本好きとは限らない。
本好きだからといって、たがいに気が合うとも限らない。本の何たるかを語り合えるとも限らない。
本といっても、ビジネス書から歴史もの、ノンフィクションからSFまでいろいろある。
まして、文学や哲学や、倫理とかサイエンスとかになると、話の合う人はわずか。
M氏とぼくは、どうやらそのわずかな部類に入る人間で、
たまたま本のカイシャで、そういう人間がいっしょになったというわけである。

ぼくは、からだを弱めてカイシャをやめた。あれからもう三年経つ。
カイシャをやめると、カイシャの人たちとはまず会わない。
ほとんどの場合、それっきりである。
でも、なかには、カイシャをやめてもちょくちょく(あるいは何年ぶりとかに)会う人もある。
そういう人は片手で数えられるくらいだが、M氏もそのうちのひとりで…

007 水底(みなそこ)より愛を込めて

列島へ寒波がやって来た先月のおわり。

松江の冬營舎さんから一枚の絵葉書、とどきました。

その日、松江は待ちに待った雪の朝をむかえたようです。

おしまいの文字の青いインクが少しにじんでいて、

そこにおすそわけの雪がうつし込まれているようで、

ひとの手のぬくもりを感じるのでした。



文字をなぞり、葉書を返すと、一枚の絵が目の前にあらわれました。

それは、「深海の情景」という名前の絵でした。

夭折の画家古賀春江が、晩年に描いた絵であることを、あとで知りました。

そうか、古賀春江がはるばる松江の雪景色からまい降りてきたのか。

大阪に来る前、僕が国立の6畳アパートでてきとうに暮らしていたころ、

タイルばりの雪隠には、古賀春江の「海」の絵がちょこんと置いてありました。

絵といっても、新聞の切り抜きのうしろに厚紙をあて、

そのうえからセロハンテープをすきまなく貼った、

なんちゃってラミネートのお粗末なものでした。



じつは、

(これは冬營舎さん宛てへのお返事のなかにも触れたことですがーーー)

蜆TuRe二號の表紙(あれは、ぼくがまだ生まれる前のアイルランドの古新聞をコラージュしたものです)に出てくる飛行船は、

春江の「海」のなかに描かれた飛行船をモチーフにしたものです。

これもあとで知ったことですが、

あの「海」の飛行船は、科学雑誌か何かに載っていたグラビアをもとに、春江が描き写したものなのだそうです。

つまり、春江もあすこでコラージュをやっていたのでした。



さて、ひょんな〝しじみ〟のご縁でこの文芸誌を置いてくださることになった冬營舎さん。

しじみのいる湖の底から海にでて、その海のうんと深いところまでもぐっていくと、

そこは、古賀春江の「深海の情景」だったとは。

松江の宍道湖の水は、まぼろしの深海にもつながっていたとはつゆ知らず…





さきほど、冬營舎さんのホームページをのぞいてみましたら、

二號のごあんないをしてくだすっていました。(どうもありがとうございます。…謎の詩人って…fuっfuっfu…)
深海によせて、蜆画伯?が前に描いてみたしじみの墨絵を寄せておこうとおもいます。