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2月, 2016の投稿を表示しています

自由への大きさ

年をとるのは楽しい。
時間を経ただけ、じぶんのまわりで未知が目覚めていく気がする。
(ぼくは人より10年遅れてると信じている。)
細胞分裂が描く成長曲線は、だんだんとゆるやかになり、下降の一途をたどるけれど、
そのかわり、皺は深くなり、生命のしずけさは分厚くなっていくように感じられる。

むかしは苦手だったことが、年を経るごとに愛着を持てるようになるのはいいことだ。
ぼくは、子どものころは、歴史や地理や理科がたいへん苦手だった。
日本史はすごくイヤだった。
星座とか地図とかは何の面白みも感じられなかったし、
小学校の理科のテストでは30点をとってしまい、あまりにもマズイので、
部屋の小棚に隠してしまったほどである(ただ、実験はつまらなくはなかった)。
図画工作や美術は、まあまあ苦ではなかった。得意だったからだろう。
体育なんぞは、短距離や持久走くらいならまだよかったが、マット運動やハードルや球技などは、
何のためにわざわざこんな面倒なことをやるのか判然とせず、正直バカバカしくてやってられなかった。
(そんなぼくも、2歳から小学校5年までスイミングスクールに通い、地元のサッカークラブで3年間活動した。
中学では帰宅部にもかかわらず、運動会ではどういうわけかずっとリレー選手に選ばれた)
それがいまでは、どうだろう。
歴史への苦手意識など微塵もなくなった。
山岳地帯や河川や地理が好きになり、地図を見るのも面白いし、天体にはときめくし、
物理やバケガクもできるだけ近くに感じていたいし、生物や植物なんかはワクワクしてしまうし、
身体や解剖学への関心は日に日に高まるわけであり、球技は相変わらず好きになれないが、
登山家やトライアスロンの選手やダンサーなどにはあこがれさえ抱くようになった。
どうだ、いまのぼくはこんなに成長し変革を遂げたのだぞ、すごいだろう、
とかいうことをいいたいのではない。
むかしはむかし、いまはいまだ。あまり、比べてどうこういうものでもない。
しかし、どこかで変異は起きたはずである。
いろんな言い方ができるとおもうのだが、
いちばんの大きな理由は、どうしようもなく何か「ものを書きたい」という欲求が高じたところにある。
ぼくは、高校の終盤になるころまで、まったくといっていいほど自発的に本を読んだことがなかった。
だから、いったいどこでどうやって言葉を吸収して…

耽美を、mg(ミリグラム)。

今回は、あれでいこう。

だいたいそうやって当たりをつけ、鍋でお出汁をとるように、おもむろにアイデアを火にかける。
イメージをセンテンスに熱変換し、センテンス間の分子結合のバランスをととのえながら、
じぶんの表現したいトーンをにじみ出させていく。そんな感じである。
この当たりをうまくつけられないと、トーンがなかなかつくり出せない。
たとえば、二號のときは書く前から「ピストル」でいこうと決めていた。
(だから、とうぜん表紙もピストルになるだろうとおもったが、そこはそうはならなかった。)
ぼくのなかでここ数年来くすぶっていた熱いものを作品に注ぎ込むのに、
ピストルというメタファは非常に役に立つと考えたからである。
そのせいか、少し風刺のきいたはなしになったかもしれないが、
ひとつことわっておくと、ぼくは、時局というものにはまるで無頓着だ。
かといって、完全に無関心ではいられない。同じ時間を過ごす隣人のことは当たり前に気にかかる。
ただ、そういうものに気を取られすぎて、
ひとの自然な感性が振り回されたり、なにか大きな力に回収されたりしてしまうのは、
とてもつまらないし、もったいないことだとおもう。
だから、我かんせず、と涼しい顔して偏屈に時代の風をやり過ごした
鏡花や荷風さんがぼくは好きである。
どこかアナルヒーな匂いのするところが、ほっとするのだ。
さて、ぢゃ、Bang!とやった次の三號は、なにでいこうかと考えるわけだけれども、
あまり迷わずに「耽美」でいくことに決めた。
そうすると、ふっとHans Bellmerの球体関節人形なんかが近づいてきて、
ぼくのハートはまるで病にかかったように奪われてしまう。
このごろは、三島由紀夫がいうところの道徳的ニヒリズムの感覚がじぶんのからだのなかで
免疫力を高めはじめているのか、そういうニヒリズムをとおしてベルメールの人形を見ていると、
そこにひそんでいる痛烈な訴え(あるいは、秘密を発見したときの焦り)のようなものが、
かえって、ありありと目の前に迫ってくる感じがするのである。
そういうときは、ベルメールの波長とじぶんの波長とが、どこかで少し重なり合って
バイブレーションを起こしているのだろうとおもう。
じっさいに、三號がどこまで耽美なものになったかは…ご想像におまかせします。

作品からは少しはなれてーーー。
ぼくはしょっちゅう…

三號は春の水羊羹。

作り手の立場から、蜆TuReをやってよかったなとおもうことが、ふたつある。
ひとつは、じぶんの文章のクセにいやでも気づかされること。
ぼくの書く文章のクセは、ぼくじしんにとっても、かなり手ごわい。
しかし、もしこの先ぼくに書きつづけるつもりがあるならば、
ぼくはこのクセを経験し、じゅうぶん理解し、そして正していく必要があるだろう。
病気をすれば医者にかかるように、この手のクセにも医者が要る。
じぶんではなかなか、クセをつかみきれない。それどころか、つかみ損ねたり、とり違えたりする。
だから、クセを言い当ててくれる他者が必要だ。そして、そういう人を身近に持てるひとは、幸運だとおもう。
もうひとつは、工作をする機会が得られたこと。
蜆TuReの最もおおきなミッションのひとつに、「持っているものを全部出せ」というのがあって、
工作もその「全部」のひとつに数えられている。
ぼくにはもともとずぼらなところがあり、要請がないと、なにもしない。
要請がなくても、ボランタリーに行うのは唯一書くことくらいである。潜在的な危機意識が働くらしい。
そういうわけで、工作の機会なぞは、日曜大工の真似事くらいでしかめったにお目にかかれない。
電動ドリルを使って本棚をつくるとか、あり物を使って生活に役立つちょっとしたものをつくるとか。
ぼくのこれまでの人生で、自慢できる工作は、
小学校一年生のときに金賞をもらった版画くらいではないだろうか。
その版画は、気のおもむくままにつくったという感じでいっぱいなところと、てらいがないところがいい。
ほかにも印象に残っている工作はいくつかあるが、
どれも、自由さに欠けていて、おまけにどこかに媚びがあり、好かない。
話がそれた。
文もグラフィックもじぶんでやる。これ、蜆TuReのもうひとつのミッションである。
文のほうは書きはじめる前からだいたい見当がつくのだが、グラフィックのほうは、やってみないとわからない。
蜆TuReの工作も、だいたい、あり物でやる。そのほうが、なんだかわくわくして楽しい。
ブリコラージュという言葉があるが、感覚としてはそれに近い。
ちなみに、二號のグラフィックは、あれは古新聞(70年代のIRISH TIMES)と雑誌を切り貼りしてつくった。
さきにいってしまうと、三月発行の三號は、チョコレートの包装紙と烏龍茶パックの濾紙を使っている…

元町の1003(センサン)とキザなM氏のはなし

本のカイシャをやめ、あたらしいカイシャにつとめ、ケッコンし、
こないだケッコンシキをあげたばかりの友人M氏と会う。
M氏は、どこか、晴れときどき曇りのような、疲れの抜けない顔をしていた。
聞くと、その日は昼から下界へくり出し、長い散歩をしていたそうである。
すでに、一杯ひっかけてきたらしい。

蜆TuReの新しい号が出ると、一献の口実ができる。
また出たので、といって、約束をとりつけ、会えばしみじみ訥々と(ときに陽気に)やる。
あるいは、また成果物が出来たので(小説のこと)、とかいいながら。

M氏は無類の本好きで、ぼくが話に出す〝本絡み〟のことがらは、たいてい彼の射程範囲に入っていて、
ひとつなにかを話すと、ぼくにとって未知なことがらまで芋づる式に引っぱり出してきてくれる。
まさに、打てば響く人である。
(側から聞けば、たいがいマニアックな話題ではあろうけれど。それが何か…?)
彼とは、本のカイシャでいっしょに労働した。彼は新卒からずっとそのカイシャではたらき、ぼくは中途で入った。
彼の仕事ぶりは、いつも周りのみんなを驚かせ、
ある同僚は「Mくんはひとりだけ銀河系で仕事をしている」といって、ため息をついていた。
すばらしい比喩だ。ため息をつく理由は、わかる。

M氏の仕事ぶりのことは、さておいて。
ぼくとM氏を「一杯やりましょう」のあいだがらにしているのは、まず、本であろうから、
ま、だから、その、本のことを。
本のカイシャと書いたが、
本のカイシャだからといって、みんな本好きとは限らない。
本好きだからといって、たがいに気が合うとも限らない。本の何たるかを語り合えるとも限らない。
本といっても、ビジネス書から歴史もの、ノンフィクションからSFまでいろいろある。
まして、文学や哲学や、倫理とかサイエンスとかになると、話の合う人はわずか。
M氏とぼくは、どうやらそのわずかな部類に入る人間で、
たまたま本のカイシャで、そういう人間がいっしょになったというわけである。

ぼくは、からだを弱めてカイシャをやめた。あれからもう三年経つ。
カイシャをやめると、カイシャの人たちとはまず会わない。
ほとんどの場合、それっきりである。
でも、なかには、カイシャをやめてもちょくちょく(あるいは何年ぶりとかに)会う人もある。
そういう人は片手で数えられるくらいだが、M氏もそのうちのひとりで…

007 水底(みなそこ)より愛を込めて

列島へ寒波がやって来た先月のおわり。

松江の冬營舎さんから一枚の絵葉書、とどきました。

その日、松江は待ちに待った雪の朝をむかえたようです。

おしまいの文字の青いインクが少しにじんでいて、

そこにおすそわけの雪がうつし込まれているようで、

ひとの手のぬくもりを感じるのでした。



文字をなぞり、葉書を返すと、一枚の絵が目の前にあらわれました。

それは、「深海の情景」という名前の絵でした。

夭折の画家古賀春江が、晩年に描いた絵であることを、あとで知りました。

そうか、古賀春江がはるばる松江の雪景色からまい降りてきたのか。

大阪に来る前、僕が国立の6畳アパートでてきとうに暮らしていたころ、

タイルばりの雪隠には、古賀春江の「海」の絵がちょこんと置いてありました。

絵といっても、新聞の切り抜きのうしろに厚紙をあて、

そのうえからセロハンテープをすきまなく貼った、

なんちゃってラミネートのお粗末なものでした。



じつは、

(これは冬營舎さん宛てへのお返事のなかにも触れたことですがーーー)

蜆TuRe二號の表紙(あれは、ぼくがまだ生まれる前のアイルランドの古新聞をコラージュしたものです)に出てくる飛行船は、

春江の「海」のなかに描かれた飛行船をモチーフにしたものです。

これもあとで知ったことですが、

あの「海」の飛行船は、科学雑誌か何かに載っていたグラビアをもとに、春江が描き写したものなのだそうです。

つまり、春江もあすこでコラージュをやっていたのでした。



さて、ひょんな〝しじみ〟のご縁でこの文芸誌を置いてくださることになった冬營舎さん。

しじみのいる湖の底から海にでて、その海のうんと深いところまでもぐっていくと、

そこは、古賀春江の「深海の情景」だったとは。

松江の宍道湖の水は、まぼろしの深海にもつながっていたとはつゆ知らず…





さきほど、冬營舎さんのホームページをのぞいてみましたら、

二號のごあんないをしてくだすっていました。(どうもありがとうございます。…謎の詩人って…fuっfuっfu…)
深海によせて、蜆画伯?が前に描いてみたしじみの墨絵を寄せておこうとおもいます。