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007 水底(みなそこ)より愛を込めて





列島へ寒波がやって来た先月のおわり。

松江の冬營舎さんから一枚の絵葉書、とどきました。

その日、松江は待ちに待った雪の朝をむかえたようです。

おしまいの文字の青いインクが少しにじんでいて、

そこにおすそわけの雪がうつし込まれているようで、

ひとの手のぬくもりを感じるのでした。



文字をなぞり、葉書を返すと、一枚の絵が目の前にあらわれました。

それは、「深海の情景」という名前の絵でした。

夭折の画家古賀春江が、晩年に描いた絵であることを、あとで知りました。

そうか、古賀春江がはるばる松江の雪景色からまい降りてきたのか。

大阪に来る前、僕が国立の6畳アパートでてきとうに暮らしていたころ、

タイルばりの雪隠には、古賀春江の「海」の絵がちょこんと置いてありました。

絵といっても、新聞の切り抜きのうしろに厚紙をあて、

そのうえからセロハンテープをすきまなく貼った、

なんちゃってラミネートのお粗末なものでした。



じつは、

(これは冬營舎さん宛てへのお返事のなかにも触れたことですがーーー)

蜆TuRe二號の表紙(あれは、ぼくがまだ生まれる前のアイルランドの古新聞をコラージュしたものです)に出てくる飛行船は、

春江の「海」のなかに描かれた飛行船をモチーフにしたものです。

これもあとで知ったことですが、

あの「海」の飛行船は、科学雑誌か何かに載っていたグラビアをもとに、春江が描き写したものなのだそうです。

つまり、春江もあすこでコラージュをやっていたのでした。



さて、ひょんな〝しじみ〟のご縁でこの文芸誌を置いてくださることになった冬營舎さん。

しじみのいる湖の底から海にでて、その海のうんと深いところまでもぐっていくと、

そこは、古賀春江の「深海の情景」だったとは。

松江の宍道湖の水は、まぼろしの深海にもつながっていたとはつゆ知らず…



雪降る松江よりとどいた絵葉書


さきほど、冬營舎さんのホームページをのぞいてみましたら、

二號のごあんないをしてくだすっていました。(どうもありがとうございます。…謎の詩人って…fuっfuっfu…)

深海によせて、蜆画伯?が前に描いてみたしじみの墨絵を寄せておこうとおもいます。



蜆作「水底(みなそこ)の蜆」














コメント

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映像日記

2月14日 水
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蜆がゆく! たけうま書房さん(横浜)/汽水空港さん(鳥取)/古本 冬營舎さん(島根)

ただいま蜆は、たびかさなる細胞分裂をくりかえし、
じょじょに〝二号〟になろうとしておるところであります。


だいぶ間があいてしまいましたが、
あらたに3つの店舗で蜆TuReを取り扱っていただけることになりました。

ひとつは、横浜市中区にありますたけうま書房さん。
創刊号に掲載した短編が小学校をぶたいにした話でしたので、
ぜひ横浜の(小生はハマっ子でした)お店にも、ということで置いていただいています。

それから、鳥取県松崎の東郷池のほとりにたたずむ汽水空港さん。
ぼくは、ここの店主のモリテツヤさんのファンになりました。
踏み込んでいえば、いろいろ影響されたい(とおもわせてくれる)ひと。
モリさんは、ちょっと抜けてる、つまり、
感性がズ抜けている、あるいはひょうげているといったらいいでしょうか。
そういう感じが個人的にいたします。

そしてそして、島根におわす古本 冬營舎さん。
ぼくがいちばん置いてもらえたらうれしいのになあ、とおもっていたお店であります。
なぜそんなにうれしいか?
冬營舎さんは、シジミの日本一の産地であるあの宍道湖をのぞむお店なんですね。
もちろんヤマトシジミです。
いわばシジミの古里、いやシジミのトポスといっていいすぎることはありません。
シジミの縁。に感無量。
こちらのページでさっそくご案内くださっていました。店主さまありがとうございます)

前にもぼくは書きましたが、シジミがとれるのは汽水域です。
汽水域。あれちょっと待てよとおもい、東郷池は汽水域なのではないかと調べてみると、、
やはり。東郷池は汽水湖でした。
あ!だから、「汽水空港」という名前なんだ!とそれで気がつく鈍感なぼくです。
モリさんにおたずねしたら、東郷池でもシジミがとれるとのことでした。
なんと!すごいすごい。
日本列島ひろしといえど、シジミのとれる地域はかぎられているんですし、
まして、古書店さんがある地域はもっとかぎられているわけですから、
んー、、心がおどります。

では、たけうま書房さんはどうだろう、、とためしに調べてみますと、
ここがなんと大岡川と横浜港とが合流する汽水域に近かったのであります。


シジミがシジミをさそい、蜆TuReは日本列島を縦断していく、、と。
蜆よ、ゆけ〜!