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暇な人たちの対話 シジミの勉強会(前半)

人。A作家 B探偵
時。二〇一六年三月二十九日午後
処。千里山 三半亭

(作家、炬燵による。空薄曇り、春寒の香を放てり。探偵、入りて来る)

B いやどうもまだ冷えますなア。すんませんねエ、急におじゃましちまッて。

A いいよどうせぼく暇だから。

B またご謙遜を。

A 謙遜するほどの身分ぢゃないね。アア…

B あれエどうされました。

A いやおもたいんだ。

B おもたい?お召しの袢纏が?

A 目だ。おもたいんだよ。

B 目が?文字ばかり見てるんですからムリもないでさア、はア、おつらいんでしょうなア。

A いやこれは、貧血と神経症のコラボレイションだよ、きみ。

B はア。

A それでなにかね。

B はア?

A キョーはなんだね。

B あ、キョーですか。えエ…キョーはア…と

A はやく済ませてくれたまえよ、こう見えてぼくも忙しいんだから。

B さっき暇だって…

A なにかね。

B いえなにも。いやあのですねエ、ちょっと気になることがありましてねエ。
こんなこと聞いていいのかなとおもうんですがねエ。そのオ、なんでアンタは、シジミっていうんです?

A それはね、諸説あるよ。

B またア、そうやって煙に巻こうっていうんでしょオ、やだなア。

A 老子の線を当たってみるといいよ。

B ずいぶん他人事だね。

A いやひとついっしょに当たろうぢゃないか。

B エ。アンタ、シジミってじぶんでつけたんでしょ?

A 左様。

B それもだいぶ時間かけてさ。

A うん、かけたかけた。まずだね…

B ア、ちょい待ちヨ、メモりますんでサ…ローシね…老子…と。で、老子がなんですって。

A 水だよ。

B み、ず…と。はいメモりましたと。

A ぼくも不勉強なんだからそのつもりで聞いておくれよ。老子という本にはこう書かれている。
天下に水より柔弱なるは莫(な)し。ーー任信第七十八
ぼくはねエ、きみ、柔弱を愛するのだ。そりゃきみねエ、ぼくは頑固で人たらしな生臭くて気の短いニンゲンだよ、
そりゃもうなさけないくらいだ。でも心のほんとうのところでは、柔弱を愛してます。それは、はっきりといえる。
こういう話をしてると自然と涙が出てきてしまう。真剣。アア…柔弱。柔弱というのはつまり、きみ、ソノ、ひとつ
のフラギリテートfrafititaetだよ。フラギリテートというのは、なにかね。幽霊だ。存在の薄はかなさだ。

玄界灘を見た話 追憶の朝鮮半島 其一

ある初夏のこと。

私は天神駅から地下鉄に乗りローカル線を乗り継いで、海の中道という終着駅に降り立った。
ここを西の方角にまっすぐすすめば志賀島にたどり着く。
海の中道はその名のとおり、海の真ん中を走っている。
海はこの道で二つに分かたれており、
志賀島の方角を背にして、右側には博多湾、左側には玄界灘が広がる。
つまり、海の中道は博多湾と玄界灘の境界線上にのびている道というわけである。

玄界灘の海を見たいとおもっていた。
その海を見ながら帰化人に想いをはせたかったのだ。
駅を降りると、そこは海浜公園の入り口と隣接していた。
玄界灘のほうに抜けるには入園しなければならないようであった(と後でわかった)が、
公園へ入るのは気が進まなかった。
それで、反対の博多湾のほうへつづく道をすすんだが、
そっちは人気のない水族館のほかは何もなかったので駅まで引き返した。
駅前にあった地図をいまいちど確認する。
公園に入らずに玄界灘のほうへ抜けるには、海の中道を西か東のどちらかへ
ひたすら歩きつづけるしかないということが、そこでようやくわかった。
西へ行けば志賀島だが、海の中道駅より西へは路線がとおっていないので行っても戻ってこられない。
そうなると、必然的に東の方角へ歩くほか選択肢はない。
どうしようか少し迷ったが、逸脱を辞さない私の本性が勝手に私の足を東へ向かわせた。
どこかで玄界灘へつうじる道がのびているにちがいないという予測をつけて、
東を目指して一本道の国道を歩きはじめた。
国道を挟む左右の砂州はどちらも海浜公園の敷地になっていて、高い鉄柵で囲われ、
歩行者が勝手に入れないようになっていた。
柵は延々どこまでもつづいていた。
それでも、おそらくどこかで途切れるはずだと私はおもっていた。
歩きはじめて2時間近く経ったあたりで、左に曲がる狭い道がようやくあらわれた。
私はその道を道なりにすすむことにした。
はたしてこの道が玄界灘につうじているかどうかは不明だったが、
逸脱の本性が私をいざなうのだからそれに従うまでである。
道の入り口で、ハイキングの格好をした男性が歩道に腰を下ろして休んでいた。
グレイスーツにスニーカーという私の出で立ちが、その道を行くにはあまりに似つかわしくなかったのだろう。
男性は、目の前を通り過ぎていく私のことを奇異なものを見る目で見ていた。
このまま登…

荷風さん

このほど、岩波の荷風全集繙き、最終巻の年譜を通読する。

一九五九年(昭和三四 己亥)八〇歳
一月一日より浅草に行き、アリゾナで食事をとった。
三月一日、浅草に行き、アリゾナで食事中發病、「病
魔歩行殆困難」(日記)を感じ、驚いて自動車に乗っ
て歸宅、病臥した。以後、浅草に出遊することもな
く、近くの大黑屋で食事をとった。
四月二日、市川郵便局で文化勲章年金四五萬圓を受
取った。二九日、午前一一時頃大黑屋に行き、一級
酒一本とカツドンをとった。三〇日、午前九時頃、
手傳いの福田トヨが掃除に来て聲をかけたが、返事
がないので奥六疊の襖を開けたところ、荷風は布團
から半身乗り出して俯伏せで吐血し死去していた。
死亡推定時間は午前三時頃、病因は胃潰瘍の吐血に
よる心臓麻痺として診断された。

荷風の最期の場面をふたたび読んで、私は「荷風さんは捕まったのだ」とおもった。
「布団から半身乗り出し」たのは、むろん、吐血するためだったにちがいない。
だが、その半身乗り出した恰好は、かくじつに荷風へ忍び寄ってきていた死の手が、
四月三十日推定午前三時に臥床の彼をいきなり襲い、遂にその手に捕えられてしまった
刹那の姿勢のように私にはおもえる。
いきなり迫ってきた魔の手を感知した荷風が、逃がれるべくか反射的にか、
慌てて布団のなかから這い出ようと半身以上体を乗り出したところをガブリと捕らえられ、
布団のなかへ半身まで引き摺り戻されたのではあるまいか。
そんなふうに私は想像してみるのである。
そして、私は、荷風臨終の場面において働かせた想像力をもう少し引き延ばして、
さらに次のようなことを考えるのだ。
私たちはみな、つねに何かに捕まりながら生き死にをしているのではないか、と。
私たちが老いるのは時間に捕まるからであり、正気を失うのは観念に捕まるためではないのか。
産まれたばかりの赤ん坊が泣きじゃくるのは、
突然に生の手によって捕えられた驚きからや、あるいは悔しさからや、
とにかくも、一抹の抵抗の最中にああして泣きじゃくるのではないかとおもえてくるのである。

「二九日、午前一一時頃大黑屋に行き、一級酒一本とカツドンをとった」。
ふとおもう。荷風さんがさいごに食べたのははたしてカツドンだったのだろうか、と。
二十九日の晩も、なにか召し上がられたのだろうか。お節介ながら、そんなことをついおもっ…

思考の吃りとせつなっぺ

じぶんという人間の小ささにつまずくと、
精神や思考が吃って、
なんだかとてもたよりない気持ちになる。
そういうときは、
きゆうとちっちゃくなって、貝になりたくなる。
失語してしまいたくなる。
われながら、よくぞシジミと名付けたもんだ。
イヤイヤ、それでは本物のシジミに失礼ではないか。


精神や思考が吃るときというのは、
精神や思考をひらこうとしているときで、
ひらこうとするのだが、
うまくひらいていかないので、吃る。
あるいは、うまくひらかなかったらどうしようとおもうので、吃る。
(吃りは、発語の際に「吃ったらどうしよう」とおもうために起きる、と
 あるものの本に書いてあった。)
だが、精神や思考なんてものは、
考えてみれば、
もともと吃りっぱなしだ。
(吃りながらも、みな、どうにかバランスを保っている。)
それが、
内向きの吃りなのか、外向きの吃りなのか。
ここに、大きなちがいがあるとおもう。
内向きというのは、
私と別の私とのあいだで対話がなされる場合で、内省や独り言のようなものとする。
外向きというのは、私と他者とのあいだで対話がなされる場合で、
他者を意識し、他者とのやりとりが発生するものとする。
たとえば、
いまこうして言語をたよりに何か言いたいことを書いているのは、
内向きの行いである。
書きながら、じつは、ああ書こうかこう書こうかと迷っているわけだが、
その迷いには、内向きの迷いと外向きの迷いがあるのだ。
「ぼくはこういうことを言いたいのだが、それを言うためにはどう書いたらいいか?」
これは内向きの迷いであるといえる。
書き進めているうちに、ハタとこの記事を読む人の側に立ったときに、
「これを読む人はいったいどうおもうだろう?ひとりよがりになっていないだろうか?」
という疑問を抱くことになるのだが、
この場合は外向きの迷いが生まれているといえるとおもう。
外向きの迷いが生まれると、トタンに筆がもたつく。つまり、思考が吃るわけだ。
ぼくはこんなことを書いて、いったいどういうつもりなのだろう?
こんなことを書いているが、ぼくはどこまでちゃんとわかって書いているのだろうか?
読む人にじぶんの精神世界を見せつけて、どうしようというのか?
これを読んで、少しでも人は関心を持ったり納得したりすることができるだろうか?
ストレスを与えてはいないだろうか?
ただ、こ…