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荷風さん



このほど、岩波の荷風全集繙き、最終巻の年譜を通読する。

一九五九年(昭和三四 己亥)八〇歳
一月一日より浅草に行き、アリゾナで食事をとった。
三月一日、浅草に行き、アリゾナで食事中發病、「病
魔歩行殆困難」(日記)を感じ、驚いて自動車に乗っ
て歸宅、病臥した。以後、浅草に出遊することもな
く、近くの大黑屋で食事をとった。
四月二日、市川郵便局で文化勲章年金四五萬圓を受
取った。二九日、午前一一時頃大黑屋に行き、一級
酒一本とカツドンをとった。三〇日、午前九時頃、
手傳いの福田トヨが掃除に来て聲をかけたが、返事
がないので奥六疊の襖を開けたところ、荷風は布團
から半身乗り出して俯伏せで吐血し死去していた。
死亡推定時間は午前三時頃、病因は胃潰瘍の吐血に
よる心臓麻痺として診断された。

荷風の最期の場面をふたたび読んで、私は「荷風さんは捕まったのだ」とおもった。
「布団から半身乗り出し」たのは、むろん、吐血するためだったにちがいない。
だが、その半身乗り出した恰好は、かくじつに荷風へ忍び寄ってきていた死の手が、
四月三十日推定午前三時に臥床の彼をいきなり襲い、遂にその手に捕えられてしまった
刹那の姿勢のように私にはおもえる。
いきなり迫ってきた魔の手を感知した荷風が、逃がれるべくか反射的にか、
慌てて布団のなかから這い出ようと半身以上体を乗り出したところをガブリと捕らえられ、
布団のなかへ半身まで引き摺り戻されたのではあるまいか。
そんなふうに私は想像してみるのである。
そして、私は、荷風臨終の場面において働かせた想像力をもう少し引き延ばして、
さらに次のようなことを考えるのだ。
私たちはみな、つねに何かに捕まりながら生き死にをしているのではないか、と。
私たちが老いるのは時間に捕まるからであり、正気を失うのは観念に捕まるためではないのか。
産まれたばかりの赤ん坊が泣きじゃくるのは、
突然に生の手によって捕えられた驚きからや、あるいは悔しさからや、
とにかくも、一抹の抵抗の最中にああして泣きじゃくるのではないかとおもえてくるのである。

「二九日、午前一一時頃大黑屋に行き、一級酒一本とカツドンをとった」。
ふとおもう。荷風さんがさいごに食べたのははたしてカツドンだったのだろうか、と。
二十九日の晩も、なにか召し上がられたのだろうか。お節介ながら、そんなことをついおもってしまう。

十一月三十日
…豆腐の柔にして暖きがよし。
(斷腸亭日日乗一 大正六年)

私は湯豆腐が大好きなので、この日記中の一文にはおもわず笑みがこぼれてしまう。
荷風は脂濃いものをあまり好まなかった。だから、カツドンで終わるのは解せなかったのではないだろうか。

荷風さんは三味線が弾けた。二十歳のころは、三遊派の弟子になることを得て落語家を志していたと
年譜にはある。三遊亭夢之助という名乗って修業に励んでいたそうだ。
漢詩に長じ、俳句、狂歌、小唄に遊んだ。外国文学の訳詩や評論も数多く手がけた。
全集第十一巻に収録されている「荷風百句」が頗る面白い。
私はかつて、夏目漱石や芥川龍之介といったいわゆる小説家として世に知られている文士たちが、
俳句にも長けていることに驚いたものだったが、
昔の文人たちは俳句のひとつやふたつをひねるくらいは朝飯前だっただろう。
それに、みな小説ばかりを書いていたわけではないのである。たまたま小説も書いていた。
考えてみれば、小説ばかりが文学だと思い込むのは、甚だ文学音痴というほかない。
中村真一郎氏は、第十三巻月報のなかで、いみじくもこう書いている。

詩、批評、随筆、小品、紀行、書簡、日記、などなど文学の領域は広い。そうしてこの広い領域に
眼の及ばなくなった読者は、小説のなかに遂には消暇読物しか求めなくなるのである。
そうした点で、荷風全集は愉しい。荷風の歩んだ足跡は文学の全領域に亙っている。そして、
この全集のなかで小説を読む時、人は小説をもまた文学として味う習慣を取り戻すだろう。

どの作品をとっても読者をたのしませるということは、それだけ言葉が豊かである証拠だとおもう。
それは、たとえば「荷風百句」を読んでみるだけでも感じとれることである。
ためしに、いくつかお目にかけませう。


涼しさや庭のあかりは鄰から

稲妻や世をすねて住む竹の奥
(荷風は筆名をたくさん持っており、そのひとつに「横縞すね藏」というちょっと巫山戯た名前がある)

秋風や鮎焼く鹽(しお)のこげ加減

秋雨や夕餉の箸の手くらがり

晝月や木ずゑに殘る柿一ツ

湯歸りや灯ともしころの雪もよひ

襟まきやしのぶ浮世の裏通

よみさしの小本ふせたる炬燵哉

寒月やいよ〻冴えて風の聲

行年や鄰うらやむ人の聲


私の好みは、なんといっても秋の句の「秋雨や夕餉の箸の手くらがり」だろうか。
どれも上手いが、殊更秋の句が上手いように感じる。上手いというか、やはり綺麗なのである。

私は濹東綺譚に見られる「花街の荷風さん」が大好きで、それゆえに荷風を好むといってよい。
もともと、江戸の待合茶屋引出茶屋の文化を手放しで褒めていた私であったから(といってもさほど詳しくはない)、
荷風さんという人(やがては荷風文学)を好きになるのに時間はかからなかった。
頑固で、どこかあきらめた風の、気品高い俗っぽさ、少し人を食ったところのある感じにも親しみを感じていた。
しかしながら、ひとたびまともに荷風文学に触れるや、ただなんとなく好きでは済まされようもない。
これは不肖蜆の勝手な言い分ではあるが、荷風の文体には妙に親和性の高さを感じる。あるいは、それは憧れの強さのためだろうか。
文体からただよう気品、余裕、隙のなさ、描写の一一の細やかさとさりげない人情味、題材の選び方…
いま、仮りに、私のまだ乏しい荷風読書体験のなかから感想を抽き出すとすれば、以上のことがいえるだろう。

ちなみに、荷風さんと私の出生年にはちょうど百年のへだたりがある。今回年譜を読んでいてそのことにはじめて気がついた。
なにかその、百年という年月の厚みが、荷風さんにたいする私のあこがれの強さと重ね合わせられるようで、
へだたりゆえに、かえって深みのある近さを感じられる心地がするのである。



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続 工場日記

その一 「痛み」

僧帽筋、脊柱起立筋、左三角筋、左手尺骨三角骨靭帯、胸鎖乳突筋…
これまでに労働をつうじて特に試練をしいられてきた主な部位たち。
なかでも胸鎖乳突筋の痛みには完全に参った。
ある夏の晩、寝ちがえる。首に経験したことのない激痛が走る。
数日前から頸部を中心に体の痛みをおぼえていたのであったが、
そこに、Liquorの過剰投与とその後のまずい体勢での寝入りが引き金となり、
トドメを刺されたかたちである。
首を回せない。寸分動かそうものなら、稲妻が走る。
そうなれば蚊の鳴くような声で泣くしかない。咀嚼もままならない。
患部を揉み揉み、なんとか読書ができるくらいまで回復したその日の晩、ふたたび激痛。
いよいよ万事休すと近くに整体院がないかを調べることに。
調べていくあいだに、寝違えのことがわかってくる。
どうも、寝違えというのは、
腋内側に走っている「腋窩(えきか)神経」が圧迫されて起こるようである。
寝違えて頸部に痛みを感じた多くの人は、首を揉んだり横に曲げて伸ばしたりするが、
これは一番行ってはいけないことなのだそうだ。
理由は、頸部の筋肉はいままさに炎症を起こし圧迫されている状態なのであって、
そこを揉めば圧迫に拍車をかけ、さらなる炎症を引き起こし痛みを悪化させるため、と。
やってはいけないことをやれば、治るものも治らない。
何かいい手はないものだろうかとおもいながらさらに調べていくと、対処法なるものを見つける。
腋窩神経を圧迫から解放してあげる有効な体操。

体操1
1. 背筋をのばし脱力。
2. 痛む側の腕を後方へ引き、少しずつ上げる。
(手首はだらりと垂らす)
2. 上がりきったところで、20秒キープ。腕をゆっくり戻す。(2セット)

体操2
1. 痛む側の手を腰に当てる。
2. 肘を後方へ引く。
3. 引ききったところで、20秒キープ。腕をゆっくり戻す。(2セット)

体操3
1. 痛む側の腕を手のひらを上にして肩の位置まで上げる。
2. 120度の角度で肘を曲げ、そのまま水平に後方へ引く。
(体はひねらず腕だけを後ろへ)
3. 引ききったところで、20秒ほどキープ。腕をゆっくり戻す。(2セット)

実際にやってみると、どうしようもなかった首の痛みが引いた。
ただ、いつあの痛みが再発するとも知れないので、しばらくは用心の日々を送ることに。

映像日記

2月14日 水
非番。復調。寒し。
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タイプライターの手を動きと文章を読む目の動きの類比。
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画面に映し出されるタイポ文字のカーソルの動き。
文章はそれを読む(見る)視線の前で意志を持って動き、視線を監視している。
視線が文章を追うのではなく、文章が視線を追う。
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だが、
そこにあるべき「視線」そのものを描くことは(可能かどうかというより)許されているのか?

「最後に、《俳優と観客の間にある映画》というタイポ文字のタイトルが、
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作業や現象が、それが可能になっていく(展開していく)過程で一貫して何かに司られているとするならば、
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もともと微生物に愛着はあったけれど、いよいよ全身全霊で愛していこうとおもう次第。

今回の蜆TuRe(第七號)は、海と転生というテーマでひとつ書いてみた。
ちなみに今回はタイトルが長い。
『急げブランキゆるやかに この途方もない軽さのうえへおもいをはせよ』
なんとなく、ヘンリミラーの『ビッグ・サーとヒエロニムス・ボッシュのオレンジ』みたいなアップテンポの語感がほしかった。
それはさておき、これを書いている最中、プランクトンに友情を抱き、
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都民ファースト都民ファーストと東の方からは聞こえてくるが、いやいや地球ファーストだろう。
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酸素をこのむ好気性の細菌との結婚のときをじっと待ち、来たるべき原生動物の誕生にそなえていた。
それから何十億年もたって、真核細胞は植物を生み、動物を生み、生命の一部は海から陸へと上がっていった。
地上では、堅い岩が気の遠くなる時間をかけて砕け、そこに動物微生物の死骸が積もり、やがて豊かな土になった。
そうやって積み重ねられた長い長い建設作業の末に、生命の原初的な土台が築かれたのである。
その歴史的事情をわきまえずに、のうのうと地球で暮らしていくのは、私はいやなのだ。
それは、なんておこがましい、なんてまずしいことか!
「私はおなかが空いた!私は飯を食いたい!」
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牛は草を食べ、それを胃と口のあいだで何度も反芻する。
この反芻に、牛が生き延びていく上でとても重要な秘密が隠さ…