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書いてみないとわからない。(それと、シジミの近況少しだけ)




蜆TuRe四号、おおむね調理をし終え、メニューが出揃った。
このあと、デザイナーのYさんに盛り付けをお願いするわけだが、ここからが意外と長い。

兎にも角にも、四号手前までやってきた。

何かをはじめるときは、誰だってそうだろうが、先のことはわからない。
創刊号を出したばかりのときは、「とりあえず四号までは出す」というのが当座の目標だった。
四号まで出すといっても、二号、三号、四号と何を出していくかはじぶんで決めるのであって、
ほんとうに出せるのかどうか本人にもよくわからないまま、目先の次号のことを考えていた。
気がつけば、次は四号が出る。早いものである。

どうやって話のネタを思いつくのかと聞かれることがあるが、
ぼくは、いわゆるネタ帳といった類のものをつくったことがない。
覚え書くらいは残しておくが、それもたいして当てにしていない。
ぼくの脳みそは、基本的にアナロジー向きで、
何かひとつのこと(あるいは言葉)を思いついたところから、ぱっぱっぱと連想が開始する。
たとえば、三号の場合は、「足を洗う」というタイトルを先に決めていて、
そのタイトル名から連想される話を下絵なしに書きはじめる。
話のなかみは、漠然と幽霊をやろうとおもっていたので、
少しひんやりとした手触りの文体がいいだろうなというあたりをつけて、筆をとる。
PちゃんとQちゃんの話を書く前に、じつは別の話を書いていたが、どうもだめなのでそれは捨てた。
(いつか、こういうボツ案ばかりを集めて、蜆ぼちゅーるという名前で作品集を出せたらとおもっている。)
前の話を捨てあらたに書き直す作業は、素潜りにたとえると、ちがう場所から潜っていく感じである。
気持ちの入れ方から潜り方まで、がらっと変える。
経験と感覚器官をたよりに、潮の流れを読みながら、上手に潜っていく。
潜っているうちに、潜る前に予想していた流れとちがう流れに出喰わすことは、よくある。
ウニをとろうとおもっていたつもりが、気がつくと狙ったことのないアワビに食指が動いていたりする。

結局、書いてみないとわからない、というのがぼくのスタンスだ。
書くという行いは、まさに書いている最中に生じているから、
どんな行いになるか(つまり、何をどう書くか)は、よし書くぞといって書きはじめてみるまではほぼ未知である。
頭のなかでは、なんとなく像や筋書きが浮かんではいるものの、それがどう書かれていくかとなると、つねに未知だ。
人と話をするときのことをおもえば、想像しやすいかもしれない。
明日の晩、Aくんと食事をすることが決まっていて、なんとなく頭のなかで「こんなことを話そうか」とかあれこれ
想像してみるだろう(ぼくは、妄想家なので、けっこうこれをする)。
さて、じっさいにAくんと会い、実物を前にすると、そこには生の時間が流れているので、
話そうとおもっていた内容なんかはどこかへ飛んでいき、
そのときどきの丁々発止で会話が勝手にすすんでいく(あるいは、全然すすまない)。
もちろん、お店の雰囲気や照明の明るさやその日のコンディションなどでもちがってくるだろう。
つまり、何を話す(何を話さない)かなんてことは、会って話してみないとわからないのだ。
書くこともそれと同じである。少なくとも、ぼくにとってはとてもよく似ている。
コーヒーをこぼしたことで会話の流れが変わることがあるかもしれないように、
書いている最中も、偶発性の介入(たとえば、おもわぬ連想)で話の流れがひっくり返ることもある。
おそらく、ぼくを書くという行為に向かわせている力は、そういう未知のほうにあるとおもう。
未知に向かわせられることが、ぼくにとって、書くうえでの大きな動機(簡単にいえば、盛り上がり)になっているので、
あらかじめ話の流れを綿密に設計するという作業がいまひとつぴんと来ない。面白くないのだ。
もちろん、ざっくりとした筋立てをつくることは必要だ。さもないと、書いているうちに迷路にはまってしまう。
どっちへ書きすすめていくかという方向性は意識的に持ちながら、どんどん未知に向かっていく感じ。
この感覚が、ぼくを書くという行為に向かわせているといえるだろう。

四号の作品づくりも大いに楽しめた。
四号の腹案は、じつは山陰の旅から帰る列車の移動のなかで生まれた。
タイトルだけずいぶん前に決めていたが、そのタイトルも最終的に少し尾っぽがついた。
今回は、家のなかでよりも、外で筆を入れることが断然多かった。これも面白い。最近では珍しいことだ。
そして、何より、書きながら感涙已むを得ずとなったことは、はじめてであった。
そのことが作品の充実度をどこまで保証するかは別として、
書いている最中に「何かに差し掛かった」という実感を持てたことはたしかである。
こういう経験が、次に書くうえで役に立つ。そしてそれは、偶然、役に立つことのほうが多い。

さて、では、Keep on writing。
シジミ案件はしばし手を休め、
目下、100枚ものの中篇1本と戯曲1本に取り掛かろうとおもっているところである。




コメント

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映像日記

2月14日 水
非番。復調。寒し。
週末ゴダール。インタビューや批評つまみ読み。ドゥボール。situs状況主義。インタビューは何より興味深い。
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タイプライターの手を動きと文章を読む目の動きの類比。
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能動は受動に後押しされていると(呼吸についておもいをめぐらしてみる。呼吸はまず「吐く」ありき。

infra-mince考/『マルセル・デュシャン、メモ』No.10をめぐって

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何か文字が書かれてる。で、ここで僕がこう、ホワイトボードのほうを振り返る。そうすると、諸君のほうを向いて
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数多く聞いた興味深い話のなかで、この話はいまでも私の記憶のなかに視覚情報と一緒に残っている。
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蜆がゆく! たけうま書房さん(横浜)/汽水空港さん(鳥取)/古本 冬營舎さん(島根)

ただいま蜆は、たびかさなる細胞分裂をくりかえし、
じょじょに〝二号〟になろうとしておるところであります。


だいぶ間があいてしまいましたが、
あらたに3つの店舗で蜆TuReを取り扱っていただけることになりました。

ひとつは、横浜市中区にありますたけうま書房さん。
創刊号に掲載した短編が小学校をぶたいにした話でしたので、
ぜひ横浜の(小生はハマっ子でした)お店にも、ということで置いていただいています。

それから、鳥取県松崎の東郷池のほとりにたたずむ汽水空港さん。
ぼくは、ここの店主のモリテツヤさんのファンになりました。
踏み込んでいえば、いろいろ影響されたい(とおもわせてくれる)ひと。
モリさんは、ちょっと抜けてる、つまり、
感性がズ抜けている、あるいはひょうげているといったらいいでしょうか。
そういう感じが個人的にいたします。

そしてそして、島根におわす古本 冬營舎さん。
ぼくがいちばん置いてもらえたらうれしいのになあ、とおもっていたお店であります。
なぜそんなにうれしいか?
冬營舎さんは、シジミの日本一の産地であるあの宍道湖をのぞむお店なんですね。
もちろんヤマトシジミです。
いわばシジミの古里、いやシジミのトポスといっていいすぎることはありません。
シジミの縁。に感無量。
こちらのページでさっそくご案内くださっていました。店主さまありがとうございます)

前にもぼくは書きましたが、シジミがとれるのは汽水域です。
汽水域。あれちょっと待てよとおもい、東郷池は汽水域なのではないかと調べてみると、、
やはり。東郷池は汽水湖でした。
あ!だから、「汽水空港」という名前なんだ!とそれで気がつく鈍感なぼくです。
モリさんにおたずねしたら、東郷池でもシジミがとれるとのことでした。
なんと!すごいすごい。
日本列島ひろしといえど、シジミのとれる地域はかぎられているんですし、
まして、古書店さんがある地域はもっとかぎられているわけですから、
んー、、心がおどります。

では、たけうま書房さんはどうだろう、、とためしに調べてみますと、
ここがなんと大岡川と横浜港とが合流する汽水域に近かったのであります。


シジミがシジミをさそい、蜆TuReは日本列島を縦断していく、、と。
蜆よ、ゆけ〜!