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ポエジーの呪法 /「ある予感」をめぐる短い談話




去年の夏は、折口さんを繙くチャンスにようやく恵まれ、
折口さんの詩や国学や「水の女」などの古代研究にほんの少しだけ触れることができました。

この初夏は、ブランショの復習と新たな学習の取り組みから、
分厚い気流に腰をかがめて入っていくようにして、
マラルメに近寄るであろう可能性を感じております。

そうして、いま、ぼくは、「ある予感」をふくらませるのです。

言葉というものが本質的に音声であることに考えが行き着き、爾来、
ぼくのなかで、言語芸術は「呪法」であることを免れないという思いが強くなってまいりました。
この思いは、あるひとつの経験を境に、決定的なものになったようです。
それは、ある舞台の観劇中に起こりました。
舞台終盤、暗転のあとに、二人の役者のセリフの掛け合いが突如はじまりました。
はじまるや否や、ぼくの体は、ほとんど自動的に(感情的にではないという意味合いで)、
まるで感電したかのように、掛け合いが放つ言葉の韻律に罹ってしまったのであります。
言葉の意味や内容や物語性は、そこではほとんど役に立たなかったように思います。
涙が滂沱のごとく溢れ出し、それをどうにも止めることができませんでした。
そのとめどない涙の流出は、ひとつの決定的な症状として、
とてつもない印象をともない、ぼくの体のなかに記憶されたのです。

ぼくのなかで、徐々に、しかし確実にふくらんでいく「ある予感」。
それは、ぼくの動機が「霊的なほう」へと赴いていくであろう予感です。
遅かれ早かれ、そのときは訪れるでしょう。
それも、なんとなくではなく、免れ得ない働きかけをともなって、なのです。
ぼくは、ここで、精神性の話をするつもりはありません。
霊的な体験をみずからに奨励するような類の話ではないのです。
そうではなくて、
言葉、言語芸術、あるいはもっと踏み込んでいえば、ポエジーの話をしようとしています。
「霊的なほう」へ。
これは、ぼく個人による要請ではなく、ポエジー側からの要請なのです。
だから、それを無視することができないのであります。
マラルメもまた、やはりその「霊的な」要請から免れ得なかった。
マラルメに見られるこの事情は、ポエジーを語る上で、極めて重要な傍証となるはずです。

ポエジーの読み取りは、音楽家が譜面を読み解く行いに似ています。
譜面を読めない素人にとって、音符の配列は暗号のようなものです。
そして、それはポエジーの(を有する)言葉についても同じでしょう。
ぼくたちは、そこに何か表現を有する言葉が書かれていることは見た目で分かっても、
そこにどのようなポエジーが隠されているのかまでは、読み解かない限り、分からないのです。
譜面のなかに「魔法」が隠されているように、ポエジーの言葉の配列にも同じ「魔法」が隠れている。
その「魔法」は「呪法」だと考えます。つまり、唱えることであきらかになる言葉の「まじない性」です。
ポエジーが隠し持つ「まじない性」は、音声をともなうとき、その効力を発揮することでしょう。
言葉が本質的に音声であると考える根拠は、ここにあるのです。



コメント

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