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年の瀬年の瀬、シジミがとおる



12月26日。
いま、朝5時20分。外は大降りの雨。ゴミ出し、炬燵に坐す。
今年は、とつい口走りたくなるが、
なに、別段、今年はなどと意気込むこともないのである。

クリスマスの夜、神戸元町まで足を運んだ。
電車も街も、案外、人が少なかった。
訪ねた先のトンカ書店で長々とお話をした。ご丁寧にお茶まで入れていただき。
ぼくがお店の棚をつらぁと見ていると、店主さんがてくてく歩きながら何気なく、
「ほんま謎やわぁ、シジミさん。読むたびに謎が深まるねんなぁ。なんやろなぁ」
おめでたで大きくなったお腹を抱えながら、陽気な笑みを浮かべてそういう。
毎号、蜆TuReを読むたびに、いったい蜆は何者なのかと思うのだそうである。
それでは謎解きをしましょう、と切り出すわけでもなく、笑って返す。
じぶんでもじぶんのことがよくわからない。むしろ、教えて欲しい。
お茶をいただき、Edward Weston『NUDES』を片手にカウンター越しで話し込む。
やり取りのなかで、ぼくが会社勤めをしていたころのこと、これを出すことになった経緯などを話す。
書いて暮らすというのは、家人の理解と支援を得てはじめて成りたつ営みであるが、
トンカ書店の店主さんも、お店をやるにあたっては(といっても、もう十年以上営んでおられる)、
やはり似たようなところがあるそうだ。
来年シジミ塾をやりましょう!と店主さんからご提案をいただく。
もっと蜆TuReのことを人に知ってもらいたいという店主のはからいからである。
つまりは、人との横のつながりを探し求めていくべしということなのだ。
24日に寄った京都のレティシア書房でもそういう話になった。
こういう手弁当の作品をつくっている人間は、関係各社を回ってなんぼだといっていた。
なんだかんだいって、蜆TuReも六號まできた。
このままつづけるのならば、ここから先は、人の輪をつくっていくことがおのずと必要になってくるのだろう。
けっきょくトンカさんに小一時間ほどおジャマになった。もう閉店時間の19時回っていた。
シジミ塾をやりましょう、が、シジミ塾をやりますそうします!ということになった。
トンカさんのガッツには見習いたいものがある。

その足で、1003さんのところまで。
元町駅をはさみ、トンカ書店のあるエリアとは反対がわにある中華街から少し歩いたところにひっそりとたたずむ。
窓の広い、奥行きのある店内は、どことなく箱舟を思わせる。二階にあるので、さながら空飛ぶ箱舟。

(と、ここで一旦キーボードを打つ指先を休める。6時5分)
(中断)

(再開)
12月29日
荒い夢に放り出されるようにして、4時半に目が覚めてしまう。寝癖の頭で今年最後のゴミ出し。いま、朝5時57分。
話のつづき。1003さんは、ぼくがお店の棚をながめているあいだに、六號をさっと読んでくださった。
食の本を何冊かと幸田文の『動物のぞき』などを抱えてレジにいくと、
「わたし、この号、いままでで一番好きかもしれません」とうれしそうにおっしゃってくれる。
「(チッチのほうは)先が読めるのだけど、どう話を終わらせるのだろうとどきどきしながら読みました」
との感想もいただく。
立ち話をしているうちに、閉店の20時を回ってしまい、
最後に、店主おすすめのリトルプレス『kalas』と『HOWLAND』を買い求めてお店をあとに。
後日、1003さんは六號を公開記述(ツイッター)でこうご紹介くださった。

  最初の「チッチのなく森」、繰り返し読んでしまいます。民間伝承のようなこの話、声に出して語るのも良さそう。
  2本目の「入江 中 永井のバカンス」は、時間、空間、サイズ感の振り幅に脳みそが揺さぶられます。



1003さんとやりとりし、来年の2月ころに蜆TuReの朗読会をひらきましょうという話になった。
じぶんの書いたものを、ほかのだれかの声で聞くのがぼくは好きで、つまりそれは、
その人の読み(方)を聞くというのと同じことなのだとおもうのだが、それがなんともいい。



友人が今年開業した「おもちゃひろばToy's Campus」へ、昨日ようやく足を運ぶ。阪急夙川駅からほど近いところにある。
ひろばのマスターがスイスやドイツから取り寄せた木製のスタイリッシュなおもちゃが、ずらりと並ぶ。
それでもまだ氷山の一角だそう。いくつか遊び方を教わって遊ばせてもらう。なかなか面白い。
木がきれいなので、手や目で触れるのにもやさしくていい。マスターのセンスのよさが垣間見られる。
ラックのなかに見つけたイエルク・ミュラーの絵本図録『うつりゆく街展』を手に取り、おもわず見入ってしまう。
絵のトーンにゆたかさがある。視覚的にとてもふくよかなのである。その絵のなかに物語性が萌芽しているような印象を持った。
同図録収載の『ぼくはくまのままでいたかったのに』は、ユーモアと哀切にみちていて、心を打たれる。
居留守文庫の岸さんが、蜆TuReの創刊号から六号までお持ちくださり、居合わせたお客さんの前で案内をしてくれた。
おかげさまで六号を3冊もお買い上げいただいた。(ありがとうございます)
蜆TuReを置いているお店を案内すると、「またゆっくりお店で見てみます」とおっしゃってくれる方もいらした。
帰り際に、ミニカーを3つ買う。ぼくはミニカーが大好きな子だった。みんなそうだったとおもうけれど。

岸さんも、早々にツイッターで紹介文を打ってくれていた。
蜆TuReの旅は居留守文庫からはじまった。そして、旅立つ数も愛すべき読者もいちばん多い。

  熱心な愛読者を獲得しつつある個人文芸誌。一年目、第四号までは短編一本だけの極薄誌。
  二年目、第五号から短編二本になり少しだけ厚くなっています。
  はまる読者がいるというのはよくわかります。創刊号から攻めていくのが特におすすめ!



旅はつづく。か




















コメント

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みな、地球。

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工場日記1

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さっと検品しながら判型ごとに分けて机に置いていく。
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作業開始。
1ヶにつき切るべき箇所は4点。そこへひたすら鋏を入れていく。
切り取られた部位は、残骸となって足元に落ちていく。
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黙々と、かつスピーディーに鋏を入れていく。
一日に何千という総数をさばく必要があるので、おのずとスピードが求められる。
ただ実際のスピードには個人差があり、判型によってもかかる時間は異なる。
私の場合は、だいたい1ヶにつき15秒から20秒といったところか。
4ヶで1分。40ヶで10分。検品に5分。作業後の判型揃えに5分。
一箱当たり、ざっと20分かかる計算である。
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この作業をひたすらつづける。

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SPICE IS THE PLACE!

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